주요 기사 바로가기

【コラム】若者をゆする韓国社会(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.03.04 15:16
0
率直に言って、この頃の子供たちにより多くの資格を持てと追い詰めるのは、既成世代の言い訳と商売根性だと思われる。もともと青年を社会の働き手として育てるには、社会が機会を与えて投資しなければならない。ところが働く機会と成長する機会を増やす投資はせずに、若者の失敗を「相手のせい」と転嫁するための装置として夢のような人材基準を突きつけ資格を要求しているのではないか。そうした一方では若者たちをゆすって「スペック産業」を育てる。過度な資格を要求する背後で既成世代は資格証の商売をする。この渦中で青年たちは資格証のために教育費と努力をかけて、社会経験を積む大義名分で「情熱ペイ(情熱さえあれば月給が安くても構わないだろうという雇い主側の考え方)」に労働力を搾取される。「自紹説」を書いて欺瞞(ぎまん)を学び、「TOEICは英語ではなく技術」としながら本質よりも要領体得の機敏さが実力だという「神話」を持つようになる。

青年たちの情熱と労働力をとんでもなく虚しく消耗させることに没頭する社会が、果たして発展できるのだろうか。このようにあらゆる実務能力をすべて検証して選んだ人材が、かつて雑に入ってきた私たちよりも立派なのだろうか。私の目から見て新入りは同じように未熟で似たような過程を経て記者へと成長する。企業の人事担当者はさらに不満が多い。むしろ瞬発力が落ち、覇気も情熱も足りず根気が不足して、下手をすると辞めて出て行くと言いながら糾弾する。青年層は就職難に声を荒げ、企業は早期辞職してしまう青年人材に声を荒げる。

 
ところが立場を変えて考えてみれば理解できないこともない。新入社員の仕事というものが、その多くのスペックを積むのにかかる時間とお金と努力に比較すれば、ちょっとつまらないのは事実だ。私たちの世代は知らずに入ってきて学ぶのに緊張するために、会社生活を長くしたのかもしれない。自ら完成させて入社した人材が、つまらない現実に失望して離れるのは、もしかしたら当然のことなのだろう。

私の若い頃、物思いにふけるのに部屋の床でごろごろするにも時間が足りなかった。振り返ってみれば私を育てた8割はその時間だったと思う。若者に必要なものは独りで悩み深く考える時間かもしれない。ところがこの頃の若者たちはそんな余裕がない。青年たちをスペック競争させてゆする前に、健康な青年の姿は何であるのかから韓国社会全体が真剣に悩んでみる時になった。

ヤン・ソンヒ論説委員


【コラム】若者をゆする韓国社会(1)

関連記事

最新記事

    もっと見る 0 / 0
    TOP