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【社説】司法60周年の反省を実践につなげるべき

2008.09.27 12:08
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 李容勳(イ・ヨンフン)最高裁判所長官が昨日、「司法60周年記念式典」で、過去の司法府の過ちを反省し、司法の独立に向けて最善を尽くすと約束した。司法府の首長が「時局関連事件の判決に問題がある」と公開的にコメントしたのは司法史上初めてのことだ。遅れた感はあるものの、最高裁長官の反省と約束は望ましいものだと考える。司法60年が汚辱だけで綴られているわけではない。裁判官の良心と苦悩がにじんでいる多くの判決が、韓国社会の重要な価値として機能し、基礎となったのは事実である。しかし司法府に対する国民の信頼が大きく傷つけられたという判断から、こうした反省が示されたものとみられる。

司法府の構成員は「信頼」と「独立」を強調した最高裁長官の記念あいさつを、心を開いて受け入れるよう願いたい。司法権は国民が裁判所に任せたものだ。国民の信頼なしに維持されることはない。「政治権力からの独立」という古くからの課題をもう一度強調した理由も、深く考える必要がある。「既得権やポストを維持するために政界と妥協したことはなかったか」に対する徹底した反省を求めたのだ。最高裁長官自らが過去の政権での振る舞いがどうだったかについても振り返ってみる必要がある。「ポピュリズム(大衆迎合主義)を警戒しなければならず、人気と世論ではなく、正義と良心に基づく判決で国民の信頼を得るべきだ」という李明博(イ・ミョンバク)大統領の発言にも耳を傾けねばならない。ポピュリズム政権の下で、裁判所もポピュリズムを真似ていなかったかについて振り返ってほしい。

 
裁判官は法治主義を守る最後の堡塁となる。そのために裁判官自らが、法に対し畏敬の念を抱かなければならない。万が一でも法への判断が裁判官の既得権の手段として使われていなかったかについても省みるべきだ。裁判所は必ず正義の味方、という信念を国民に抱かせる必要がある。憲法上の責務を忠実に完遂できず国民に失望と苦痛を与えたという謝罪は、こうした理由から出たものとみられる。

問題は実践だ。反省は誰にでもできる。その反省を実践するためには当然、苦痛が伴う。およそ2350人の裁判官が果たしてそうした苦痛を乗り越える姿勢を備えているのか、自ら深く考えてほしい。裁判官は聖職者のように生活すべきだ、という言葉を肝に銘じなければならない。

‘前官礼遇’などという言葉は、結局、法を利用して一身の安楽を求めるという話にしかならない。「問題ある判決」と「裁判官らしくない処世」という鎖に縛られ続けてはならない。社会が病んでいるとしても、裁判官さえ本来の姿を守ることができれば、その社会は再建できる。厳しい状況にも、立派な先輩裁判官らがいた。そうした先輩をモデルにして裁判所に新しい風が吹くことを期待したい。

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