韓国戦争後に韓国の地を踏む初の北指導者…金正日と差別化

韓国戦争後に韓国の地を踏む初の北指導者…金正日と差別化

2018年03月07日11時30分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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  北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)労働党委員長が4月に軍事境界線(MDL)を越えて韓国側の地を踏む。韓国戦争(朝鮮戦争)後に北朝鮮の指導者としては初めてのことだ。3回目の南北首脳会談を板門店(パンムンジョム)韓国側地域である「平和の家」で開くことに南北が合意したためだ。2000年6月15日の第1回、2007年10月4日の第2回南北首脳会談の開催地はともに平壌(ピョンヤン)だった。当初金正恩は妹の金与正(キム・ヨジョン)を特使として送り文在寅(ムン・ジェイン)大統領を平壌に招請した。しかし金正恩に会って来た訪朝特使団が平和の家と発表し首脳会談場所が変更された。対北朝鮮特使団首席である青瓦台(チョンワデ、大統領府)の鄭義溶(チョン・ウィヨン)国家安保室長は6日、「第3回南北首脳会談が板門店韓国側区域である平和の家で開催されるということは相当な意味がある」と明らかにした。

  北朝鮮がこの日対北朝鮮特使団のニュースを伝える映像で、金正恩が「度量の大きな決断を下した」という表現を使ったのも、平壌ではなく板門店の平和の家を指名したこととも関連がある。南北関係改善のために南側地域へ行くこともいとわない決断力を備えた「度量の大きいリーダー」として国際社会にイメージを構築しようとする試みとみられる。

  父親の金正日(キム・ジョンイル)との差別化も試みたという解釈もある。金正日国防委員長は2度の首脳会談を平壌で行ったがソウル答礼訪問はしなかった。金正日は第1回南北首脳会談が開かれた後、ソウルへの答礼訪問を進める韓国側要人に「米国の首都はニューヨークではなくワシントンではないか」という話をしたと複数の外交安保当局者が伝えた。ある当局者は「ソウルがニューヨークのように経済の中心かも知れないが、政治的中心は平壌であり首脳会談は平壌で開かれなければならないというのが金正日の考えだった」と話した。金正恩は今回これを破った。

  金正恩が今後逆に文大統領に平壌答礼訪問を要求する可能性も提起される。南北は特使団訪朝を通じ首脳間のホットライン設置にも合意した。南北首脳間で直通電話が通じるだけに第4回へとつながる南北首脳会談も予想できる。こうした状況から金正恩が今後開かれる南北首脳会談は北朝鮮側地域で開こうとしているという意図を計ることができる。この場合平壌だけでなく金正恩の故郷であり各種開発事業を集中している元山(ウォンサン)なども候補地に浮上するとの観測も出ている。

  板門店平和の家は金正恩には政治的負担が減る空間でもある。韓国側地域だが中立性が強いところだ。平和の家はこれまで南北会談の場所としても活用されてきた。平和の家は板門店共同警備区域(JSA)内の韓国側地域にある3階建ての石造りの建物だ。建築目的自体が南北会談の開催だ。会談が開かれれば金正恩は2階にある会談場で文大統領と向き合って座ることになる。平和の家1階には記者室と小会議室、3階には大会議室などが備わり会談のための最適な場所に選ばれる。

  
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