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“韓国人”荒木治丞、この名前に韓日野球が込められている

ⓒ ISPLUS/中央日報日本語版2014.01.07 17:26
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「私は韓国人です」。周囲からはよく「日本人ではないのか」「在日か」と尋ねられる。独立球団高陽ワンダーズでプレーし、昨年10月にLGに入団したファンモク・チスン(荒木治丞、29、内野手)はいつも誤解されるという。

彼は日本で長く暮らしたため、韓国語がややぎこちない。日本とは切っても切れない関係でもある。祖父が日本人だ。このため祖父の姓、荒木(ファンモク)をそのまま使っている。

 
祖父は済州で韓国人女性に出会って結婚した。荒木治丞は済州で生まれて育った。現在、彼の家族は済州にいるが、他の親戚はみんな日本で暮らしている。荒木治丞は済州で中学校を卒業し、日本に渡った。日本では高校、大学と社会人の野球チームを経験した。

荒木治丞は「当時、済州には高校の野球チームがなかった。野球を続けるにはやむをえず他の地域に行くしかなかった。より大きな舞台でプレーしたいという気持ちがあり、日本行きを決心した」とし「日本語を全く話せず、当初は適応するのに苦労した」と話した。

◇2回の大けが

荒木治丞は中学時代からユース代表に選ばれ、頭角を現した。ナ・ジワン(28、起亜)、チェ・ジンヘン(29、ハンファ)、ソン・チャンシク(29、ハンファ)とともに国際大会にも出場した。京都国際高校在学中もチームを地区大会8強まで導くなど実力が認められた。そして名門の亜細亜大学に入学した。

しかし喜びはつかの間だった。入学する前、現地練習メンバーに選ばれたが、左ひざの十字靭帯と後方の靭帯が同時に断裂する大けがをした。2年以上もリハビリを続けた。日本プロ野球を目指したが、けがの後遺症は長く続いた。

結局、卒業後、社会人野球チームのセガサミーに入団した。セガサミーで彼は2年間、主力遊撃手として活躍した。しかし3年目にまたけがをした。外野ノックでスライディングをした際、足首の靭帯を切った。幸い、けがは6カ月で回復したが、彼の前には兵役が待っていた。

◇「私は韓国人」 帰化はノー

荒木治丞は「兵役はそれ以上延ばせない状況だった。チームでは日本人への帰化を勧められた。いろいろと悩んだ」とし「親からは私の考えを尊重すると言われた。実際、祖父は日本人だったし、帰化をしてもそれほどおかしなことではなかった」と話した。

しかし悩んでばかりはいられなかった。1年前にけがをした足首が再び痛み始めた。荒木治丞は「それでも私が生まれ育ったのは韓国だった。軍隊に行くことを決めた」とし「続くけがに疲れて、休みたいという考えになったのも事実」と語った。

日本での生活を整理し、2011年末に韓国に戻った。野球をあきらめるつもりで帰国し、入隊する考えで再検査を受けた。ひざの負傷による免除だった。彼は半年ほど休みながら足首の治療に専念した。父の店の仕事を手伝い、草野球の試合に出たりもした。その間、けがをした部位がかなり回復した。2013年、高陽ワンダーズのトライアウトを受けた。彼は「また野球がしたかった」と語った。

◇ワンダーズを経てLGに

荒木治丞は金星根(キム・ソングン)高陽ワンダーズ監督の厳しい練習に耐えた。2013年にワンダーズの1番・遊撃手として活躍し、フューチャーズ(2軍)リーグ交流戦で打率2割5分9厘、16盗塁、30四死球をマークした。右投げ右打ちで、俊足と選球眼、特に守備で高い評価を受けた。

複数のチームが彼に注目し、LGの誘いを受けた。荒木治丞は「LGは幼い頃から本当に好きだったチーム」とし「野球を一度あきらめたし、苦しいことが多かった。LGのユニホームを着て練習試合に出ると、言葉では表現できない感情が込み上げてきた」と語った。

現在、彼は1軍スプリングキャンプ名簿から除外され、九里2軍球場で練習中だ。金星根監督も、金杞泰(キム・キテ)LG監督も荒木治丞にもっと太れと話している。彼は野球選手としては小柄な体格(173センチ、66キロ)だ。

荒木治丞は「守備は自信があるが、チームバッティングと走塁プレーがかなり不足している」とし「開幕までに確実に補完し、2014年に1軍の舞台に立つことが目標」と語った。

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