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「金正雲氏、7歳からベンツを運転」…藤本健二さんインタビュー(2)

2009.06.06 15:41
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--正雲氏はどんな性格の人物か。

「12歳のとき、大きな声で怒ったことがある。妹が“小さなお兄さん”と言うと怒ったのだ。私はその後で正哲は“大きな大将同志”と呼び、正雲氏は(“小さい”を抜いて)そのまま“大将同志”と呼んだ。兄を無視しなかったが正雲氏はかなり気が強い。スポーツは万能、ハリウッドなど映画も好きで趣味も多い。金正日委員長は正雲氏が幼いころからスケールを大きく育てた。食べ物だと言ってお酒も飲ませたし、7歳から招待所の中で自動車の運転もさせた。ベンツ600を走らせていたが、椅子を替えてアクセルなどを踏みやすくした。酒は種類を選ばずによく飲んでいたし、酔えばただ気持ち良く話して遊んだ」

 
--正雲氏が国際情勢に対して言ったことがあるか。

「最後に見た18歳のときには幼かったからかそんなことを言ったことはない。しかし正雲氏がスイスの学校に通い、ヨーロッパ旅行を多くしてきたので、世界に対する知識はあると思う。金委員長が禁煙していたのでタバコは隠れて吸っていたが、2001年の初め、こんなことを言っていた。『私はいつもジェットスキーに乗ってマリンスポーツしたり、ローラーブレイドや乗馬などをしたりしているが、一般国民は何をしているのか』と尋ねた。18歳ですでに一般の人々を気にかけていて驚いた」

--後継者授業はどう受けていたか。

「元山、新川、平壌など全国にある招待所を回りながら自然に労働党・軍の幹部たちに会って彼らと交わる方法を学んだ。多分大人になった後では直接リーダーシップを発揮しただろう。これら幹部たちも自然に3代世襲の構図を通じた後継者選びを考えるようになったはずだ。スイス国際学校で中・高校を出たから英語をよく使っていた。招待所でも英語で話し合いながらレッスンを受けていた。日本語は下手だった。午前中には家で勉強していたようだが、私と会う場所は食堂や招待所なので、いつも遊んでばかりいた。7歳のとき新川招待所では波は漢字でどう書くのか尋ねてきたので(あ、漢字も勉強するんだなあ)と思った」

--正雲氏を最後に見たのはいつか。

「2001年4月22日元山招待所だった。いつものように経費1万5000ドルをくれて『行ってらっしゃい』と言ってくれたが、すでに北朝鮮脱出を決心していたので心苦しかった。今もピストルやスノーケリング用道具とサングラス、野球用品を日本から買っていってあげたとき、喜んだ姿が鮮明に残っている」

--正雲氏の写真はどうやって手に入れたのか。

「2001年3月、元山招待所で正雲氏とともにローラースケートに乗って滑ってけがをした。治療を受けて横になっていると、夜12時半に電話があった。招待所のメイン食堂の役割をするセンターへ来なさいと言うので、行ってみると、バスケットボール選手4人と一緒にロシアのウオツカを飲んでいた。正雲氏は『藤本生きてたね』とうれしそうに話しかけてきた。横にアルバムがあった。広げてみるとパーティーのときに肩組みした写真があった。その写真は舞台で私がサキソフォンを吹いて歌を歌っていたものだった。韓国の『サランヘ(愛してる)』歌謡を歌いながら歌詞を変えて『愛してる~大将様、本当に愛してる~』と歌うと正雲氏がとても喜んだ。そのとき大将様が肩組みをして写真を撮った。この写真が欲しいとと言ったらだめだと言われたが、それではアルバムの中から幼いころの写真をくれと言ったら1枚抜いて『絶対に公開するな』と言われたが、公開してしまった」

「金正日の日本人調理師藤本健二氏が4日、本紙のインタビューで金正雲の写真を見せている」東京=金東鎬特派員






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