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浮島丸爆沈から67年、釜山港で事故犠牲者慰霊祭

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2012.08.27 15:24
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釜山市中区中央洞にある釜山沿岸旅客船ターミナル付近のスミル公園。 海辺に「浮島丸爆沈事故慰霊碑」がある。 1945年8月24日、光復(解放)を迎えて帰国する強制徴用者を乗せた日本運送艦「浮島丸」の沈没事故の犠牲者を慰める碑石だ。

碑石がある場所は、日帝時代に強制徴用者を乗せて下関へ向かう連絡船が出入りした埠頭の辺り。 しかしこの小さな慰霊碑までが本港の再開発で場所を移さなければならない状況だ。 釜山地域の41の市民団体が組織する浮島丸韓国犠牲者追慕協会は、慰霊碑の代わりに大きな銅像を設置することにし、事故発生から67年を迎えた24日に慰霊祭を行った。

 
遺族と追慕客は海に花を投げて慰霊した。 追慕協会のキム・ヨンジュ常任理事(65)は「67年が過ぎても真相が明らかになっていない」とし「もっと遅くなる前に真相究明と遺体の発掘が行われるよう韓日両国政府に問題を提起する」と述べた。

浮島丸は日本から帰国する韓国人を乗せて青森県海軍基地を出発し、京都の舞鶴沖で爆発した。 当時、日本政府は「船が機雷に触れ、乗船者3700人のうち524人と日本海軍25人が死亡した」と発表した。 しかしハン・ヨンヨン犠牲者遺族会長(70)は「生存者の話を総合すると、乗船者は7000人以上で、乗船者の半分以上が死亡したと考えられる」とし「日本軍が故意に船を爆破させたという主張もある」と伝えた。

生存者のユ・ビョンスさん(86、当時19歳)は「日本軍が船上の物を海に投げるやいなや‘ドン’という音がして船が割れた」とし「日本の発表を信じることはできない」と話した。

生存者と遺族は92年、日本裁判所に損害賠償訴訟を起こしたが、敗訴した。 05年から5年間行われた韓国政府の真相調査も爆発の原因について結論を出せず、乗船者と死亡者数が不正確だと確認するレベルにとどまった。

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