本業のフィルムもあきらめた“55年富士マン”、ゼロックスまでのみこむ(1)

本業のフィルムもあきらめた“55年富士マン”、ゼロックスまでのみこむ(1)

2018年02月05日16時03分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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富士フイルムホールディングスの古森重隆会長がカメラを持ってポーズを取っている。本業であるフィルム事業をあきらめる構造調整で会社を回復させた古森会長は最近、米ゼロックスの買収計画を発表した。(写真=中央フォト)
  79歳の最高経営責任者(CEO)が会心の勝負手に出た。富士フイルムホールディングスの古森重隆会長だ。112年の伝統をもつ米国大手を買収することにした。一時、世界市場を牛耳って「コピー機の代名詞」に通じていたゼロックスだ。富士とゼロックスを合わせると世界最大の事務機器大手が誕生する。

  時代に合わせて変身に成功した会社(富士フイルム)は生き残ったが、そうでない会社(ゼロックス)は他人に売れることになった。日本企業の底力を見せる象徴的な事件だ。会社の運命を分けたのはCEOである古森会長の強力なリーダーシップと改革への意志、正確な方向判断だった。

  今秋取り引きが完了すればニューヨーク証券市場の上場企業であるゼロックスは名前を「富士ゼロックス」に変える。富士フイルムは6700億円でゼロックスの持分50.1%を確保する。ゼロックス理事会12人の中で過半数である7人を富士が指名する。

  古森会長は新しいゼロックスの会長に就任する。社長兼CEOは現ゼロックスCEOのジェフ・ジェーコブソン氏が引き受ける。古森会長は記者会見で「開発・生産から流通まで世界的な規模で相乗(シナジー)効果があるだろう」と話した。彼は「先進国で複合機市場はすでに成熟したが、アジアのように成長している市場もある」として「米ゼロックスの企業価値が高まって株主も自然に理解することになるだろう」と自信を示した。

  日本経済新聞は「富士フィルム、半世紀で本家と逆転」という見出しで富士のゼロックス買収を伝えた。両社の関係は1962年に遡る。東京オリンピック(五輪)が開かれる2年前だった。富士とゼロックスは手を携えて合弁会社を作った。

  翌年である1963年、東京大経済学部を卒業した古森氏が平社員として富士フイルムに入社した。その後、55年間この会社で運命を共にした。ただ実力で持ちこたえながら50代に役員になった。欧州法人の社長を引き受けて世界市場を見る感覚を育てた。60代に本社の社長、70代に会長に上がった。富士とゼロックスは50対50の合弁パートナーだったが、序盤に主導権を握った側はゼロックスだった。

  富士ゼロックスは日本などアジアの一部市場で事業権が制限されていた。世界最大の米国市場には足を踏み入れることすらできなかった。ところで、1990年代を経て状況が急変した。単なるコピー機の時代は暮れ、コンピュータで文書を出力するプリンタがその席を占めた。

  資金難を体験していたゼロックスは2000年に中国市場の事業権を富士ゼロックスに明け渡した。引き続き合弁会社の持分のうち半分を富士に売った。富士ゼロックスは富士が75%、ゼロックスが25%の持分を保有した会社になった。富士ゼロックスはコピー機とプリンタを結びつけた複合機で市場の変化に対応した。

本業のフィルムもあきらめた“55年富士マン”、ゼロックスまでのみこむ(2)

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