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金正日・金正恩の「兄妹政治」…内助型の金敬姫、権力型の金与正(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.10.12 11:03
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北朝鮮は今月7日に労働党第7期2次全員会議を開き、60人の人事を断行した。この中で最も目を引く人物は金正恩(キム・ジョンウン)労働党委員長の妹である金与正(キム・ヨジョン、28)だ。

今回の会議で金与正は党の路線と政策を決定する核心機構「政治局」候補委員になった。

 
2014年に満25歳で党副部長(宣伝煽動部)に入ってから3年目のことだ。韓国政府当局者は「金正恩時代に最もスピーディーに昇進した人物が金与正」と語った。金正恩が今回の会議で、パルチザンである崔賢(チェ・ヒョン)の息子、崔竜海(チェ・ヨンヘ)氏に組織指導部長を任せたと韓国政府当局は推定している。北朝鮮体制の両軸である組織指導部はパルチザンに、もう一つの軸は金与正に任せたわけだ。金与正は北朝鮮で1号行事と呼ばれる正恩氏の出席行事を主管・管理する責任者だと韓国政府当局は把握している。

2011年に死去した金正日(キム・ジョンイル)は中央党高位幹部に親戚を起用するのは敬遠したという。金平一(キム・ピョンイル)ら異母兄弟を海外に派遣し遠ざけた背景でもある。しかし妹である金敬姫夫婦だけは例外だった。信頼して頼る部分が必要だったのだ。そのような次元で、金正日・金正恩ともに共通して「兄妹政治」をしているという分析が出ている。

(1)兄が苦しんでいる時は金敬姫が活躍

金正日と4歳差の金敬姫(キム・ギョンヒ)は1960年代末のモスクワ留学時代に党国際部副部長を経て軽工業部長を務めて金日成と金正日を補佐したが、長い間外部に姿を現さなかった。だが、2003年9月の最高人民会議代議員との記念写真撮影から6年後の2009年6月、金正日のトンボン協同農場の現地指導の時に兄の手を握って写真を撮り本格的な公開活動に乗り出した。2008年夏に脳卒中で金正日が倒れて以降のことだ。韓国統一部が把握している金敬姫の公開活動92回のうち90回が2009年以降のものだ。2010年9月には人民軍隊長ポストで活動したこともある。

しかし、以前から金敬姫は金正日の「寄る辺」だった。97~98年、北朝鮮が経済的に最大の困難にぶつかっていたいわゆる「苦難の行軍」時代、隠密特使を自任して地方の党委員長の事務室や社宅を「急襲」して不正腐敗を暴いた。この過程で延亨黙(ヨン・ヒョンムク)当時慈江道(チャガンド)党責任秘書(道責任者)が最も倹しく、部下にも熱心に倹約生活に励ませたことが確認された。延亨黙はその後国防委副委員長にまで上り詰めた。金敬姫はまた、2009年には北朝鮮が貨幣改革の副作用で混乱に陥っていた時に、朴南基(パク・ナムギ)党財政経理部長を処刑して事態の収拾にあたった。現代史研究所のチョン・チャンヒョン所長は「金敬姫は派手な動きこそ見せないが、兄が苦しんでいる時はいつも支援軍として問題を解決するために輝かしい役割を果たしていた」と伝えた。


金正日・金正恩の「兄妹政治」…内助型の金敬姫、権力型の金与正(2)

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