【中央時評】遠藤未希さんの行方不明

【中央時評】遠藤未希さんの行方不明

2011年03月17日18時09分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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  運命は選択できないが、運命に対する姿勢は選択できる。 自然による大災難の前に茫然自失しながらも、悲しみを胸の奥深くに抑える日本人を見ながら感じることだ。 悲嘆の中でもしっかりと耐える日本人こそ、「アモールファティ(amor fati)」、すなわち「運命を愛する」という、2500年前のストア哲学の神髄を内面化した人たちだという気がする。

  逆境は感動を生むという。 いま多くの感動ストーリーが出てきているが、最近メディアに報道されたある公職者の行方不明は特に心を引きつける。 宮城県南三陸町の町役場危機管理課職員、遠藤未希さんだ。 遠藤さんは津波が押し寄せてくる時、「早く逃げてください。 6メートルの波があります」と最後まで放送を続け、結局、津波にのまれた。 25歳の最も美しい年齢で、住民を救おうとマイクを放さず行方不明になった遠藤さんの哀切な話は、一つの静かな感動だ。

  日本が地震による大災難を乗り越えて立ち上がるのは時間の問題だ。 円高が維持されているからでもなく、日本政府が莫大な資金を供給しているからでもない。 混とんの中でも落ち着きと節制を失わない市民の精神が生きていて、住民のためにマイクを最期まで放さない公人精神が残っているということ、これ以上の災難克服意志を示す証拠はない。 遠藤さんの場合、町役場の末端職員などという考えはなく、住民の安全の責任を負った最高の公職者のように行動した。 彼女の行為を見ると、果たして公職者とはどういう存在かと考えさせられる。 国は違うとしても、自分の共同体のために最善を尽くさなければならないという義務感においては何も変わらないからだ。

  韓国社会で公職者になる道は単純だ。 試験でなければ選挙だ。 特に行政試験や9級試験を受ければ公務員になる。 その点では一般企業の入社試験と同じだ。 しかし試験に合格しただけで公人意識を持った公職者と見なすことはできない。 利益を出す企業ではなく市民のために奉仕するという心なく終生職場に入るという求職意識だけで、公職を語ることはできない。 公職には単なる生計を超えた厳粛性がある。 共同体のために最後までは全うするという毅然たる態度が求められる理由だ。

  私たちの周辺に果してそんな公職者がいるだろうか。 とりわけ寒かったこの冬、口蹄疫(こうていえき)が流行した時、これを阻止するために昼夜問わず死闘して亡くなった公務員は8人だ。 口蹄疫防疫中に過労で倒れ、二度と起き上がることができなかった彼らこそが、最期まで公人精神を発揮した人たちではないか。

  しかし‘上海スキャンダル’を見ると言葉を失う。 果たして彼らに国のために献身するという最低限の公人意識があったのかという疑問のためだ。 もちろん求道者でなく熱い血を持つ男性なら、さまざまな誘惑を避けて通るのは難しいものだ。 しかし領事館はラブストーリーをつくるところでもなく、国がラブストーリーをつくれとそこへ送ったのでもない。 国民と国の利益を守る番人になれというのが任務ではなかったか。 にもかかわらず、国の使命と俸給を受ける彼らが、なぜロミオのように哀切な愛をつくろうとしたのか。 禁じられた愛を交わしたロミオとジュリエットは純愛譜として称賛されるが、禁じられた愛を交わした領事がだらしない人間としてうわさになる理由が気にならないのか。 また単純なラブストーリーを越えて国の機密まで漏らしたいう。どうすれば公職者がここまで落ちぶれることができるのか。

  韓国社会で公人意識を持った公職者は天然記念物のように貴重な存在なのか。 行政試験に合格し、エリート意識を持つことが公人意識ではない。 お金の誘惑、愛の誘惑、権力の誘惑を振り払い、国民のために最期の瞬間までマイクを放さない精神があってこそ公人意識だ。 いま津波の中で行方不明になった日本人公職者の姿が目に浮かぶのもこのためだ。

  パク・ヒョジョン・ソウル大教授・倫理教育科
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