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【近代の私生活】回虫・十二指腸虫はどこへ行ったのか

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2010.10.26 17:34
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韓国戦争(1950-1953)中だった1950年10月のある日、銃傷を負った国軍兵士を手術した米軍移動外科病院(MASH)の看護将校が仰天した。 患者の腹の中で‘気持ち悪い虫’数十匹がうようよしていたのだ。 手袋をしていたが、とても触ることができずためらっていたところ、軍医官に叱られ、やむをえずこれを取り出してバケツに投げ捨てた。 しかし韓国人患者に頻繁に接しているとすぐに慣れてきた。 一日にバケツ1つが虫でぎっしり埋まる日もあった。 米軍軍医官と看護将校の大半は、その時まで寄生虫というものを本でしか見たことがなかった。

 
当時、寄生虫感染は韓国人には風土病のようなものだった。 解放直後にはこれを土疾病または地方病と呼んだ。 1930年代から化学肥料の使用が増えたが、まだ人糞の使用が一般的だった。 野菜や淡水魚を生で食べる食文化も寄生虫感染を普遍化させた。 腹の中に回虫がいない人がむしろ珍しいほどで、「回虫が動く」という言葉はかなり以前から「腹がへる」という意味で使われた。

大韓民国政府樹立後、複数の機関が随時、寄生虫感染に関する実態調査を行ったが、いつも回虫感染率は50%以上、地域によっては90%近くにのぼった。 十二指腸虫の感染率も30%前後だった。 川辺に住む人にはジストマも一般的だった。 1949年5月に洛東江(ナクドンガン)流域の住民を調査した釜山(プサン)水産学校と釜山府立病院の共同調査班は、調査対象者の約50%が肝臓ジストマに感染していることを知った。

63年冬、腹痛をうったえた9歳の女児が全州(チョンジュ)イエス病院に運ばれてきた。 開腹してみると、1063匹の寄生虫が小腸をふさいでいた。 寄生虫の塊りは除去したが、すでに小腸が腐り、女児は結局亡くなった。 これは世界に海外トピックスで伝えられ、翌年から全国的な寄生虫撲滅運動が起き、66年には寄生虫疾患予防法まで制定された。 政府と寄生虫学者が連合して繰り広げた「寄生虫撲滅作戦」は目覚ましい前科を収めた。 農法と食習慣の変化も寄生虫を減らすのに一助した。 現在、韓国人の腸内寄生虫の感染率は1%未満であり、時々回虫が発見されようものなら、すぐに寄生虫学会に報告されるほどだ。

中国産白菜が大量に輸入され、寄生虫を心配する声もあるようだが、国内で腸内寄生虫がまた広がる可能性は非常に少ないとみられる。 それよりも寄生虫の撲滅に成功した私たちのノウハウを他国の寄生虫退治プログラムに生かす問題について悩むほうが生産的なようだ。

チョン・ウヨン・ソウル大病院病院歴史文化センター研究教授



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