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【時視各角】「記者無礼」批判と綻ぶろうそく民主主義=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.05.13 13:15
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行動や言葉、考えがつまらなく取るに足らない時に「ケクチョクタ(=味気ない)」という表現を使う。李洛淵(イ・ナギョン)首相がフェイスブックでそのようなコメントをした。ソン・ヒョンジョンKBS(韓国放送公社)記者が執権2年目の文在寅(ムン・ジェイン)大統領とした特別対談について書いたコメントだが、「新聞の漢字は『聞』だが、多くの記者は『問』と勘違いしている。立派に問うことを先に考えるようだ。よく聞くことが先だ。動詞として『新聞』は新しく聞くことだ」と述べた。李首相は間違っている。

新聞は動詞ではなく名詞だ。読者が新しい情報を聞く紙の媒体が新聞だ。あえて動詞として『聞』の字の新聞を話すのなら、その主語は読者となる。読者が聞くということだ。読者に新しい情報を聞かせるために記者は問う。記者が問わなければ取材源は答えない。新しい情報も出てこない。記者が厳しく問いたださなければ、取材源は適当に答えたり、自分に有利な話または嘘を言ったりする。特に権力者であるほどそうだ。文在寅政権の実権者にこうした傾向があることは、この2年間にうんざりするほど見てきた。

 
李首相は新聞記者をやめて長いからか、感覚が落ちているようだ。李首相が勤務していた新聞社の先輩・後輩記者は独裁者や権威主義的な取材源に直接的かつ攻撃的に問うことをためらわなかった。このようにして表れた権力者の目つきや表情、態度や言葉などが読者が聞く新しい情報になった。記者がよく聞かなければならない理由は問いただすためだ。傾聴は手段にすぎず、質問が目的だ。李首相はこうした事情を歪めて訓戒するようにソン・ヒョンジョン記者を非難した。いや、激しく取材して質問する記者全体を侮辱した。李洛淵の詭弁が文大統領や青瓦台(チョンワデ、大統領府)、いわゆる「文派」から点数を少し稼いだのかはわからない。

私の取材によると、ソン記者は盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領時代に青瓦台を担当した。当時、青瓦台参謀だった文大統領と親しくなったことが特別対談のインタビュアーに選ばれた背景という。廬武鉉政権初期の青瓦台担当記者は気概があった。論理的で反問をよくする大統領に巻き込まれないためには、政策を熟知し、時には厳しい質問を投じなければならなかった。当時、青瓦台の参謀もボスの気質に似ていた。今のようにグループメッセージを愛用して自分たちが言いたいことだけを選んで伝えたり、青瓦台の国民請願のような制度を作って集団的言語暴力に便乗する卑怯なこともしなかった。ソン記者の丁重でありながらも終始緊張感を生み出す取材態度は個人のスタイルでもあるが、基本は盧武鉉政権当時に青瓦台を担当しながら鍛練されたものだ。ソン記者が文大統領との個人の縁を越えて記者として問うべきことを問い、返答が出てくるまでさまざまな角度から追及する姿勢に同僚記者として安堵した。

ソン記者は「2年前に文大統領を支持した方と反対した方、支持したが撤回した方、投票しなかったが見守る方など、さまざまな視点から質問をする」という言葉でインタビューを始めた。「第一野党の立場で見ると…大統領に独裁者という声が出ている」という発言が出てきたのは自然なことだった。文大統領は詳しく答えることで、視聴者が自らが判断する機会を提供した。このような形の一問一答は、先日のトランプ大統領とCNN記者が言い合った米国の例を挙げるまでもなく、自由民主社会で大統領と記者の間でよくあることだ。これをめぐり「極めて無礼な質問」だとしてソン記者を攻撃する書き込みや放送局の謝罪や解体を要求する請願が相次いでいる。我々が暮らしているところは1人を「太陽」としてもてなす君主の国なのか。文在寅大統領は執権2年に満足しているような姿だが、これ一つは間違いない。言論の自由が群衆権力の挑戦を受けている。ろうそく民主主義が綻んでいる。

チョン・ヨンギ/中央日報コラムニスト

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