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【噴水台】憤怒が興行になる韓国社会

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.12.04 10:30
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いつからか韓国の映画界には「社会的憤怒ジャンル」というものができた。甲の横暴や乙の鬱憤、報復が大まかなストーリーラインだ。伝統的な現実批判、社会告発に加えて弱者の鬱憤をはらすことに焦点が合わされた。既得権に対する反感、正義が消えたという現実認識が背景にある。ロマンスやコメディを探すのが難しいこの頃、韓国の映画界に大勢としての位置を確立した社会性スリラー物がみなそうだ。いわゆる「1000万人映画」も似ている。『泥棒たち』のような純粋な娯楽物もあるが、多くの興行動力は大衆の怒りとカタルシスだ。今年はそんな2本の1000万人映画『暗殺』『ベテラン』が誕生した。

テレビドラマだからいって違わない。ロマンスとどん詰まり家族劇が主流をなしているが、次第に領域を広めていくスリラー物にはソシオパス(sociopath)権力者の悪行が乱舞する。スリラー物だけでもない。腐敗した既得権層という図式はジャンルを問わず一般化している。

 
第2の『ベテラン』と呼ばれて興行中の映画『内部者たち』は、最初から「社会的憤怒」を超えて「社会的激怒ジャンル」の出現を知らせているようだ。やはり大企業会長や政治家、ジャーナリストの不正コネクションとそれに対抗する駆け出し検事と政治のごろつきたちの活躍を描いた。妙に現実を思い出させるエピソードとして「大衆は犬、豚です。すぐに忘れます」「むけと言うならむいて、ひっくり返せと言うならひっくり返すのが大韓民国の検事」といったセリフも話題だ。

原作であるユン・テホ作家のウェブ漫画が権力の働く方式を綿密に考察したものとは違い映画は、とてつもない悪の陳列と痛快な復讐劇として完成した。特に目につくのは権力者についての描写だ。大統領選挙の有力候補者、大企業の会長、ジャーナリスト、青瓦台(チョンワデ、大統領)首席らは日常対話でもまるで組織暴力のように話し行動する。たとえば「青瓦台首席」という字幕がなければ本当に組織暴力のキャラクターに見えるほどだ。「支配権力=組織暴力集団」という等式だ。

しかしこのように権力を絶対悪だと単純化し、映画の中の絶対悪への報復を通じて正義の実現の快感を得るのは実際の現実の中では格別な力はない。すべての権力が絶対悪でもなく、悪が作用する方式もまたそれほど単純ではないからだ。相手を絶対悪と押しつけて自ら正義を独占したという認識も、正しいものではない。

今や映画やテレビで常套的とみなされるほどに繰り返される腐った権力者の話が私たちに残すのは、一瞬のカタルシスと世の中に対する炎症でないか。私たちは社会的憤怒までも一つの興行アイテムとしてジャンル化している時代を生きているのかもしれない。

ヤン・ソンヒ論説委員

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