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【噴水台】満州ウエスタン

2008.09.06 12:43
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  西部劇(ウエスタン)は進化を繰り返してきた。1903年にエドウィン・ポーター監督の『大列車強盗』が始まりだ。60-70年代には「スパゲティ・ウエスタン(マカロニ・ウエスタン)」と呼ばれるイタリア製西部劇映画が登場した。米国式の開拓精神、英雄主義の枠組みを破った。続いてインドの「カレー・ウエスタン」、フィリピン製の「タガログ語ウェスタン」が出てきた。旧ソ連と東欧諸国では、インディアンを「搾取される者」として描いた「オースタルン(Ostern)」ジャンルが登場したこともある。

60-70年代、韓国でも西部劇は人気だった。日本による植民支配時代(1910~45年)の満州を背景にした活劇「満州ウエスタン」だ。林権沢(イム・クォンテク)、申相玉(シン・サンオク)、李晩熙(イ・マンヒ)、鄭昌和(チョン・チャンファ)監督ら韓国型のタフガイの元祖、張東暉(チャン・ドンフィ)、許長江(ホ・ジャンガン)などといった人物が主役だった。満州の野原を豪快に走る男(主に満州独立軍)の姿を通じて大衆は時代的な憂憤を間接的に晴らした。

 
最近ヒット中の金知雲(キム・ジウン)監督の映画『奴奴奴』(原題:「良い奴、悪い奴、変な奴」)も満州ウエスタンへのオマージュ(映画に対する敬意)だ。李晩煕監督の『鎖を切れ』(1971年)からモティーフを得ている。

日本が1932-45年、中国東北につくった満州国は最近、30年代の東アジア研究の中核として浮上しているところだ。米シカゴ大学歴史学部のプラセンジット・ドゥアラ教授は「帝国主義の新しい形式を代表する国」として注目したりもした。日本、朝鮮、満州、モンゴル、中国の「五族共和」を標榜(ひょうぼう)したが、実権は日本関東軍司令官が握った。

各国の歴史的な認識も異なる。中国は収奪と侵略の歴史として記憶し、日本は中国の近代化を促進したと自評する。韓国は中高校の韓国史教科書で満州に触れないことで記憶自体を消した。

しかし満州ウエスタンなど大衆映画は、ロマンチックな理想郷として満州のイメージを残した。抗日運動の要衝となった満州には、複数の周辺民族の貧しい亡命者が押し寄せ、流浪した。満州は当時、朝鮮人にとってチャンスの地でもあった。日本が満州に莫大な産業投資を行ったことに支えられ、経済的に成功する人も現れた。こうした満州が後日、韓国を支配するエリートに「国家主導型」の開発モデルの原形を提供した、という見方もある。

もちろん『奴奴奴』がこうした満州の姿をきちんと盛り込むことができたかは疑問だ。ただ韓国人が忘れていた時代と空間を改めて呼び起こしたことだけは確かなようだ。

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