北朝鮮、共匪・テロ・砲撃…60年間に470件の挑発

北朝鮮、共匪・テロ・砲撃…60年間に470件の挑発

2013年03月12日17時39分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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  今年は韓国戦争(1950-53)停戦協定締結から60年目だ。 しかしこの60年間、北朝鮮の挑発は絶えなかった。 武装共匪の侵入、暗殺、テロ、海上挑発、爆撃など、さまざまな方法で470件の挑発を敢行した。 統一部などによると、北朝鮮の挑発で死亡した軍・警・民間人は310人以上で、国内外で拉致された人は3811人(2009年発行の政府統一白書)と推算される。 年平均7.8回の挑発で、5.2人が死亡しているということだ。

  ◇共匪侵入・暗殺(1960-70年代)

  戦後復旧時代の1960・70年代、北朝鮮は「暴力革命推進」戦略に基づき武装共匪で後方地域をかく乱し、韓国反共政権の要人の暗殺を狙った。 朴正煕(パク・ジョンヒ)元大統領を狙った68年の1・21青瓦台(チョンワデ、大統領府)武装共匪侵入事件、70年の国立墓地顕忠門爆破事件、74年の陸英修(ユク・ヨンス)狙撃事件が代表例だ。 76年に発生した板門店(パンムンジョム)斧蛮行事件などに見られるように、北朝鮮は好戦的に挑発を行った。

  ◇大型テロ(1980年代)

  80年代、北朝鮮は表面上は平和攻勢、裏では大型テロを敢行した。 80年代末に南北高官級会談を推進すると同時に、アウンサン廟爆破事件と大韓航空機爆破事件を起こした。 全斗換(チョン・ドゥファン)元大統領を狙った83年10月のアウンサン廟爆破事件で徐錫俊(ソ・ソクジュン)副総理ら17人が死亡し、87年の大韓航空機爆破事件で乗客・乗務員115人が死亡した。

  ◇潜水艦侵入(1990年代)

  北朝鮮は90年代、核・ミサイルなど非対称武器の開発に拍車を加え、潜水艦挑発を敢行した。 94年に北朝鮮が国際原子力機関(IAEA)を脱退して1次北核危機が発生した当時、米国が寧辺爆撃まで検討し、韓半島は準戦時体制となった。

  朝米間のジュネーブ合意で北核問題が臨時縫合されたが、北朝鮮は挑発を続けた。 96年には江原道国体に参加する主要人物の暗殺を目的に江陵潜水艦武装共匪事件を起こし、軍と民間人の15人が犠牲になった。 98年に束草(ソクチョ)沖で発見された北朝鮮の潜水艦からは工作員9人の遺体が発見された。

  ◇海上挑発(2000年代)

  99年6月、北朝鮮は西海(ソヘ、黄海)北方限界線(NLL)に難癖をつけ、休戦後初めての正規戦となる1次延坪海戦を起こした。 1次延坪海戦で完敗した北朝鮮は、韓日ワールドカップ(W杯)決勝戦が行われた02年6月、2次延坪海戦(西海交戦)を起こした。 この戦闘で韓国軍は高速艇1隻が沈没し、海軍6人が戦死した。 その後、北朝鮮は06年に最初の核実験、09年に2度目の核実験を実施して緊張局面を継続し、09年の核実験直後には大青海戦を挑発した。

  ◇爆沈・砲撃(2010年代)

  09年に後継者に指名された金正恩(キム・ジョンウン)は、対南挑発を通じて権力を固めていった。 北朝鮮は2010年3月、白リョン島沖で魚雷で「天安」を爆沈させた。 海軍40人が死亡し、6人が行方不明となった。 同年11月には長距離ミサイルで延坪島を砲撃し、海兵隊2人が戦死、民間人2人が死亡した。
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