10年前の1994年11月。 いまはウリ銀行に吸収された韓一(ハンイル)銀行の尹淳貞(ユン・スンジョン)頭取が、突然辞任した。 尹頭取は地方に下りて、辞任書をファクスで送った。 辞任書には「まず申し上げたいのは、決して他意によるものではない」と書かれていた。 しかし尹頭取が自分の意思で辞任したと信じる人は誰もいない雰囲気だった。 尹頭取が辞任する数カ月前から、金融街には彼に対する投書が少なからずあり、執権層でも彼の辞任を望むうわさが広がった。
政権が代われば執権勢力と異なる脈の銀行頭取らは服を脱ぐというのが、当然の手順のように見なされた時期だった。 いつものように金融界監査説が広まり、‘取り調べてやましいところのない人はいない’という世間の認識どおり、数人の銀行頭取があいまいに辞任したりした。 これを意識したのか、93年に発足した金泳三(キム・ヨンサム)政府は、銀行頭取人事に絶対に関与しないと強調した。だが金泳三政府が発足した直後、第一(チェイル)銀行頭取と、現在ハナ銀行に合併された旧ソウル信託・ボラム銀行頭取が任期途中で辞任した。 外換(ウェファン)銀行頭取も就任から1カ月余りで辞任した。 もちろん当時、金融界監査説が広がり、自ら退かずに居座り続け、手錠をかけられた銀行頭取もいた。
金大中(キム・デジュン)政府では通貨危機のため金融界監査説が静まった。 その代わり、構造調整の過程で公的資金が注入された銀行の人事については、事実上、政府が決定した。 銀行経営に新しい風を吹き込もうという趣旨で、非銀行員出身が銀行頭取に抜てきされ始めたのもこの頃だ。 この時、金正泰(キム・ジョンテ)氏が証券会社社長から住宅(ジュテック)銀行頭取(現国民銀行頭取)に抜てきされた。