日本に学ぶノーベル賞 その3 皇城新聞がノーベル賞を1905年に紹介

日本に学ぶノーベル賞 その3 皇城新聞がノーベル賞を1905年に紹介

2009年04月19日15時38分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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  我が国の人のノーベル賞に対する関心は決して小さくない。1901年に始まったノーベル賞が韓国に伝えられたのは4年後の1905年だ。皇城(ファンソン)新聞が9月27日付で米国大統領ルーズベルトのノーベル平和賞受賞の可能性を言及し、ノーベル賞の5分野を紹介した。ソウル大ホン・ソンウク教授(生命科学科)は「ノーベル賞は1920年代まで新聞を通じてたまに関連記事が出始め、1933年代に入ってノーベル賞と関連し、新聞報道が著しく増加した」とし「1933年6月『科学朝鮮』という月刊科学雑誌が出刊されるなど、科学運動が全国的に拡散し、ノーベル賞に対する認識が変わり始めた」と述べた。

  1934年11月12日当時「朝鮮中央日報」には「ノーベル賞の話、朝鮮人はいつ出るか」という見出しで、子供とおじさんの対話と子供が後で大きくなってノーベル賞をもらうと誓う内容がある。70余年前の内容がまだ続いているということだ。朝鮮日報は1958年11月1日付の社説で「冷遇ばかり受ける学者・技術者・研究機関」という見出しで科学者、技術者を大きくもてなし、研究機関を拡充しなければならないと主張した。50年が過ぎたこのごろも科学技術問題を扱うときは当時と特に違わない主張が出ているのが韓国の現住所だ。

  パク・ヨンア・ハンナラ党議員(教育科学委)は「日本は基礎科学に対する国家次元の投資が1992年以後GDP対比2%以上で世界1位を逃したことがない」とし「基礎科学の発達のためには長期的投資と知識の蓄積が必要だ」と話している。

  

→4 伊藤乾教授「ロールモデルが必要」
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