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【外から見る韓国】クリスマスは楽しく過ごしましたか(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.12.31 16:28
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韓国はアジアではカトリック国家のフィリピンの次にキリスト教信者の割合が高い国だ。改新教(プロテスタント)の信者の割合は最高だ。クリスマスの話を取り上げてみる。クリスマスの根っこは、キリスト教が誕生する前の異教徒の風習だ。初代教会は異教徒の冬至をイエスの誕生を記念する日とした。賢明な決定だったと考える。1年中で昼間が最も短い日だ。韓国でも英国でも、私たちはこの時から深い冬を乗り越えて春を待つ。

韓国と違い英国では、クリスマスだけでなくその翌日のボクシングデー(Boxing Day)、正確には聖ステファノの祝日も公休日だ。新年の初日も休日なので最初からクリスマス~1月1日まで休む会社も多い。

 
クリスマスは途方もなく大きな商業イベントになった。一度、東京の大型店でサンタクロースのおじいさんがお尻を揺らしているのを見た。世界の人々がクリスマスのさまざまな象徴を共有する世の中だ。

だがクリスマスは心穏やかではない。私たちは敏感な時代に生きている。一部の米国人は「メリークリスマス」と挨拶すれば不快感を持つという。「どうしてあえて私がクリスチャンだと自分の好み通りに考えるのだろう?」「私に自分の信仰を強要するのか」というふうに反応するのだ。それで近ごろ米国人は危険を避けるために互いに「年末年始を楽しくお過ごしください(Happy holidays!)」という。

色々な面で悲しくて愚かなことだ。「メリークリスマス」という表現は他人に信仰を強要しない。当然、米国の憲法は信仰の自由を保障している。だが世俗化のために伝統的にキリスト教を信仰していた国々で「キリスト教を消す」現象があらわれている。行き過ぎたことだ。

「メリークリスマス」と言うのは強要ではなく分かち合いだ。ユダヤ教、イスラムあるいはヒンズー教を信じる友人が私に楽しい「ハヌカ」「イード・アル=フィトル」「ディワリ」を祈れば私は本当にうれしい(仏様の誕生日の喜びもまた友人らと共にしたい。悲しくもここ英国では仏教信者がごく少数だ)。私の友人は彼らに特別な意味があることを私とともに分かち合おうとするのだ。私はそのような善意に感謝して、私もまた彼らと喜びを分かち合おうと努力する。

信仰の多様性は避けられない人生の現実だ。そしてまた良いことだ。救援や知恵に至る正しい道がただ1つだという考えは不合理だ。心を謙虚にすれば私たちは互いに学ぶことが多い。

すべての人がこのような考えに同意するわけではない。今日、自由主義と寛容は深刻な威嚇を受けている。最も極端な事例は、いわゆるイスラム国(IS)だ。いったい信仰によって行動するという人々がどうしたら、神が人を殺し、拷問し、人を奴隷にして、強姦しろと命令するという結論を下すことができるのか。だが、この邪悪なディストピアが世界中で追従者を引き込んでいる。そうした毒キノコのような信心が若者たちの心をとらえる理由は何なのか。本当にとんでもないことだ。


【外から見る韓国】クリスマスは楽しく過ごしましたか(2)

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