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共にがん克服し、再起公演も共に…李京美と村治佳織の友情

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.08.10 16:38
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2013年4月、KBS(韓国放送公社)交響楽団公演の出演者が突然変わった。共演者だった日本のギタリスト村治佳織(37)が公演2週間前に演奏をキャンセルしたためだ。村治は国際的に活動している演奏者だ。15歳でデビューし、欧州・アジアのさまざまな舞台に立ってきた。村治は当時「健康上の理由」とだけ釈明した。

彼女は舌に腫瘍を発見した。白い傷が徐々に固くなった。病院を訪れるとすぐに手術日を決められた。村治は真っ盛りの演奏者だった。年に50回以上、世界各地で演奏予定が入っていた。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との共演、テナーのホセ・カレーラスとのコンサートのように重要なステージも多数予定されていた。

 
だが全日程を取り消した。デビュー20年で1カ月以上休むのは初めてだった。ピアニストの李京美(イ・ギョンミ、53)の説得によるものだった。李京美は村治の舌がんの消息を聞いて日本に向かった。「自分の体が優先だ。演奏への未練を持たずに休みなさい」と話した。それまで村治が最も多く聞いた応援の言葉は「早く良くなってステージに戻って」という言葉だった。7日ソウルで会った村治は「李京美の助言で我に返った。それまであまりにもギターだけの人生だったことを知った」と語った。

2人はちょうど20年前に出会った。イタリアのシエナの音楽祭でのことだ。道で誰かを待っていた村治に李京美が「何か手伝いましょうか」と尋ねた。そこでは東洋人が珍しかったからだ。李京美は「ちょうど私の末の妹と同じだった」と言った。宿泊先探しを助け、ご飯も食べさせた。村治は「韓国の人は情が良かった」と記憶した。その後、姉妹のような間柄になった。

2009年、村治は李京美の電話で数日後に韓国に来た。「乳がん手術をたった今終えた」という話のためだった。体に良い食べ物や、気分が良くなる明るい色の服を持って訪ねてきた。その後、数十回も韓国にきて李京美を応援した。2013年には李京美が日本に行った。温泉に一緒に通い、病気と闘った記憶をたどって助言をし、村治を世話した。

李京美は「誰よりも村治の気持ちがよく分かるような気がした」として「初めは生きたくもなかった。これぐらいなら派手に生きたかと思うだけだった」と話した。彼女はモーツァルトの専門家としてさまざまな舞台に立っていた。がんの宣告は停止信号のようだった。期待していた演奏ができなかった。だが、姉と3人の弟(妹)が彼女に「生きろ」と急き立てた。結局2011年に東京のサントリーホールで再起演奏をした。舞台の後、医師が待機していた。弱くなった気力を憂慮していたからだ。李京美は舞台に戻った。

村治にとって李京美は希望であり未来だ。2年前に手術をして経過観察中の村治は「李京美を見ていると『私も大丈夫だろう』と思う」と話した。彼女は11日午後8時、ソウルの芸術の殿堂で李京美とともに公演を行う。再起ステージを日本ではなく韓国で開く理由を「私を立ち直らせてくれた李京美に感謝しているから」と語った。韓日国交正常化50周年も記念する。村治は「両国関係は複雑で良くない。私たちの演奏1回が大きな変化をもたらすことはない。だが『日本・韓国の人の間にはこんな友情もある』ということを見せたい」と話した。

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    共にがん克服し、再起公演も共に…李京美と村治佳織の友情

    2015.08.10 16:38
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    ピアニストの李京美(イ・ギョンミ、写真右)が先に、その次はギタリストの村治佳織ががんと闘った。2人は指先の神経が鈍って演奏に支障を与えるかと思い坑がん治療を受けなかった。20年にわたり紡いできた友情が力になった。2011年のデュオ公演後4年ぶりとなる11日、共にソウルの芸術の殿堂の舞台に立つ。
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