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脱北者ペク・ヨセフ氏「北朝鮮では林秀卿を変節者と呼ぶ」

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2012.06.06 10:44
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民主統合党の林秀卿(イム・スギョン)議員の暴言を暴露したペク・ヨセフ氏(28)は5日、中央日報との電話インタビューで「北朝鮮では林秀卿議員を変節者と呼んでいる」と話した。

--ファンと装って林議員に意図的に近付いたのではないかという話もある。

 
「林議員が訪朝した1989年当時、北朝鮮の5歳以上の子どもたちの間で林秀卿のファンでない者はいなかった。当時の子どもたちにとって、林秀卿は偉大な首領様の手を、それも死線を越えてきて握った初めての南朝鮮青年だった。林秀卿が帰る時、みんな泣いた。彼女が板門店(パンムンチョム)を越える瞬間、銃殺されると知っていたからだった。しかし彼女は銃殺されなかった。それが北朝鮮の人々にはさらに大きい衝撃だった」

--どうして北朝鮮は変節者という烙印を押したのか。

「(南韓に)移った後、監獄で死刑を受けると思われたが出所した。記者として活動しながら金泳三(キム・ヨンサム)元大統領について良いイメージの記事を書いたと北に伝えられた。北朝鮮の内部教養資料、体制教育資料には『変節者の林秀卿は、南朝鮮に渡り金泳三の傀儡党代表について良い記事を書き、家柄も反動一家だ。ブルジョア財閥一家で、彼女の兄も南朝鮮傀儡軍の将軍で、その水はどこにも行くことができない。…』という内容があった。私もそんな教育を受けた。北朝鮮では林議員はもう“統一の花”ではなくただの変節者だ。それを理解していない林議員が残念だ」

2003年、脱北直前まで戦車部隊に服務していたペク氏は、北朝鮮教養資料を暗記しているかのようにすらすらと言及した。だが、大部分の内容は事実と異なる。林議員は2005年に息子を事故で失った後、海印寺(ヘインサ)に2年間とどまり、仏教新聞の記者として働いていた。金泳三政権時には記者として活動していない。彼女の父親も新聞記者出身で財閥ではない。兄は海兵隊中尉出身だ。

--林議員はなぜ脱北者に「変節者」だと言ったのだろうか。

「私は個人的に林秀卿議員に従北とは言わない。北朝鮮政府にだまされ、誤った考えから脱することができないのだ。しかし北朝鮮の欺瞞に属し、そこから脱することができないのは、従北よりも恐ろしい」

--暴言事件以降、彼女と電話で話したり直接会ったりということは。

「3日に林議員が声明文を出した後、これと全く同じ内容のものが第3者を通じて私のところに伝達された。脱北者全体に対する謝罪とともに、私個人に対しても『傷つけて申し訳ない』と言及されていた。しかし私個人に謝罪するような問題ではないと思った。脱北者2万人が怒り、大韓民国が怒った。このため、『会おう』との提案も断った」

一方、林議員はことし1月11日、tvN「ぺク・ジヨンの終末討論」で「(北朝鮮の命令でスパイ活動を行い摘発された)旺載山(ワンジェサン)事件も企画事件だった。韓相大(ハン・サンデ)検察総長が従北勢力との戦争宣布後に起こった事件。旺載山事件に私の知人も多くいた」と話していたことが明らかになった。

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