주요 기사 바로가기

孫基禎の優勝の瞬間、ドイツ放送は「韓国人学生」と呼んだ(2)

ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版2013.11.13 17:23
0
4.水供給受けた地点は最低2カ所

孫基禎は走っていた間に水を全く飲まなかったと言われていた。彼は自叙伝に「ビスマルクの丘に上がると看護婦が水をすすめてくれ、口を1度洗って吐いた」と記録した。しかし写真資料では孫基禎が少なくとも2カ所で水を供給されたことを示している。まず看護師が渡した水のコップを口につける写真が1枚ある。この写真は孫基禎の自叙伝にも載っていた。オリンピック公式記録645ページには日本人関係者が渡した水のコップを口につけている写真がある。39キロ地点で撮影されたという。当時マラソンコースには概略3キロ間隔で15カ所に給水台が設置された。写真の(2)は初めて紹介される大会運営資料の中の1つで、給水台の位置を示している。孫基禎は33.2~34.2キロ地点にある13番目、40キロ地点を前に設置された最後の給水台で水を供給されたのだろう。

 
5.布切れにゴム底つけた足袋、マラソンシューズ

孫基禎が使ったものと同じ種類のユニフォームとマラソンシューズが日本の東京にあるスポーツ博物館に保管されている。ユニフォームは1936年ベルリンオリンピックの三段跳びで金メダル、走り幅跳びで銅メダルを取った田島直人が使ったものだ。規格は長さ730ミリ、幅390ミリ、重さ230グラムだ。田島の体格は身長1メートル71センチ、体重62キログラムだった。孫基禎(1メートル70センチ、60キログラム)と大きく変わらない。孫基禎が着たユニフォームも博物館に展示された田島直人のユニフォームと同じか似ていただろう。博物館は孫基禎が使ったものと同じ種類のマラソンシューズも所蔵していた。布切れにゴムの靴底をつけたこのマラソンシューズには「孫基禎が履いた足袋と同じモデル」という説明がついている。「足袋」は日本の足袋だ。規格は長さ235ミリ、幅100ミリ、高さ45ミリ、重さ250グラム。

6.韓日の政治状況分からなかった西欧人

孫基禎はベルリンオリンピック期間の間、日章旗がついた運動服を着ずにハングルで署名をするなど強靭な民族意識を表わした。しかしドイツメディアがこのような努力に注目した跡は見られない。ドイツ歴史博物館とドイツ放送記録保管室が所蔵する実況録音の中に孫基禎を「韓国人学生(Koreanische student)」と呼んだ部分がある。当時の情勢を勘案すれば、この言及は韓国と日本の政治的状況を理解した結果だと見るのは難しい。

頭を深くうなだれて授賞台に立った孫基禎は、私たちに「悲しい勝利者」として記憶されている。西欧人はどのように見ていたのだろうか。記録映画『オリンピア』を制作した女性監督レニ・リーフェンシュタールの記録はソン・キジョンについての彼女らの認識を反映している。リーフェンシュタールは「彼らは宗教的な喜びに陥ったような姿で、自国の国歌に耳を傾けていた」と記録した。彼女が見るに、孫基禎は亡国の恨みが深くしみ込んでいた韓国人ではなく愛国心に満ちた日本人だった。

孫基禎の研究は、深くて高い山を登る仕事のようだ。筆者がした仕事は、乱雑に生えていた藪を取りはらう作業だった。薮がなくなると孫基禎の巨大な輪郭により一層鮮明に近づいた。辛い日帝強制支配の時代に私たちには、世界最高記録保有者兼オリンピックチャンピオンの偉大なマラソンランナー、孫基禎がいた。

ホ・ジンソク順天郷(スンチョンヒャン)大学スポーツ科学科招へい教授

(中央SUNDAY第348号)


孫基禎の優勝の瞬間、ドイツ放送は「韓国人学生」と呼んだ(1)

関連記事

最新記事

    もっと見る 0 / 0

    포토뷰어

    孫基禎の優勝の瞬間、ドイツ放送は「韓国人学生」と呼んだ(2)

    2013.11.13 17:23
    뉴스 메뉴 보기
    当時、孫基禎が履いていた足袋のようなモデル(5)。
    TOP