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【コラム】延坪島の中国漁船の解決法=韓国(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.06.22 09:26
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「波市」とは文字通り「波打つ市場」だ。豊漁期を迎えて集まった漁船と、魚を買いに集まった商船が交わった「海の市場」をいう。波打つのは海だけでない。満船で財布が厚くなった船員が酒一杯で疲れを癒やす酒場と飲食店、新鮮な魚を手に入れて儲けようとする商人が船を待ちながら一服する旅館、暇な時間をつぶすさまざまな娯楽施設や店が漁場に近い陸地に生じる。その頃になると「3日稼いで1年暮らす」という言葉が出るほど豊かだった。陸地であっても海のように波打つ。

延坪島(ヨンピョンド)波市と黒山島(フクサンド)波市、蝟島(ウィド)波市が特に有名だった。このうち延坪島波市の歴史は長い。『世宗(セジョン)実録』地理誌黄海道(ファンヘド)海州牧(ヘジュモク)編に初めて登場するが、「石首魚(イシモチ)が州の南側の延平坪で獲れ、春と夏に数カ所の漁船がすべてここに集まって網で獲るが、官がその税金を徴収して国の費用に使う」と記録している。このように国の財政も満たした波市は漁場の興盛とともに生成と消滅を繰り返し、今日では現代的な漁業と水産市場の登場によってほとんど姿を消した。

 
このようなロマンチックな名前の波市が最近、繰り返しメディアに登場しているが、それほど驚くことでもない。ロマンは抜け落ちて生存だけが残っている。西海(ソヘ、黄海)北方限界線(NLL)を出入りしながら底引き網を使って水産資源を枯渇させる中国漁船のためだ。南北境界の海上に波市を開き、北朝鮮の漁夫が獲った魚を我々が買おうという話が出てくる。すると南北が共同対処し、中国漁船をもう少し効果的に防げるのではという苦肉の策だ。

それが可能だろうか。一見、良いアイデアのようだが、現実性があるかどうかという話だ。ペクリョン島・延坪島一帯の中国漁船の存在は波市ほどその歴史が長い。「17年前から…」というため息が聞こえるが、中国漁船の企画的な違法漁労はそれよりはるかに長い。英祖の時代に李重煥(イ・ジュンファン)の『択里志』にすでにその話が出ている。「長山串(チャンサンゴッ)の下の海ではフグとナマコが捕れる。フグは『漢書』に王莽が食べたと記録されている。(山東省の)登州や莱州にもあるが、我が国で捕れるものより味が落ちる。利益が多いため、ますます多くの中国船が出てきて、海辺の民に被害を及ぼす。官界で将校と衙前を送って追えば、海に出て錨を下ろし、人がいなくなるのを待ってまたナマコを獲っていく」。

中国船の操業が日常的になると、朝鮮末期の西洋宣教師の主な密入国ルートになったのもそこだった。中国漁船の規模は日増しに増え、朝鮮政府が手に負えない状況になった。「中国漁船が百隻または千隻単位で群れをなし、正月から海の真ん中にいる」という記録も見られる。当時も中国船員は朝鮮官員の取り締まりに対抗して刃物や槍で武装していた。朝鮮は中国政府に統制を要請したが、百年河清だった。


【コラム】延坪島の中国漁船の解決法=韓国(2)

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    【コラム】延坪島の中国漁船の解決法=韓国(1)

    2016.06.22 09:26
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    キム・フェリョン記者
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