日帝強制占領時の強制徴用労働者宿舎に存廃議論=韓国(1)

日帝強制占領時の強制徴用労働者宿舎に存廃議論=韓国(1)

2016年04月08日09時17分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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三菱列社宅は日帝強制占領期間の1938年、日本の軍需工場に強制徴用された労働者たちが暮らしていた合宿所だ。建物が数珠つなぎに列をなしていて「列社宅」という名前がついた。歳月が流れて荒れ地になった。(写真=富平区)
  3日午後、仁川市富平区(インチョンシ・プピョング)プヨンロ21-81の一帯。高いマンション建物の間で、低層の古くて小さな家90軒余りが連なっている。コンクリート壁は塗りがはげて一部は崩れ、相当数の建物の屋根が落ちていた。門扉は大人1人が入るのにも狭苦しかった。空き家のドアを開けて入ると13平方メートル程度の小さくて暗い部屋が見える。建物の片隅には、カギのかかった共用トイレがある。「三菱列社宅」だ。

  この列社宅の保存問題をめぐる議論が真っ最中だ。見た目が良くないので完全撤去すべきだという主張と、改装を推進する区庁が対抗している。またもう一方では、列社宅地域に歴史記録版を設置すべきだという学界専門家の主張と「住居空間を観光商品にする」という居住民が対抗している。

  三菱列社宅は日帝強制占領期間である1938年に機械製作会社の弘中商工が労働者を受け入れるために作った宿舎だ。建物が列をなしているようだったので「列社宅」と呼ばれた。1942年に軍需物資補給工場を運営していた三菱重工業が買収した。当時1000人余りの韓国人労働者が列社宅で生活していた。光復(解放)後に日本が退いた後も、相当数の労働者が列社宅に住んでいた。古かったが賃貸料が安く1950~60年代には貧しい音楽家たちが集中的に暮らしていたこともあった。列社宅は当初1000軒余りの規模だったが、今は87軒だけが残っている。このうち50軒余りは空き家だ。残りの37軒に1人の高齢者と基礎生活受給者ら40人余り(住民登録上では70人余り)が暮らしている。自己所有または賃貸形態だ。

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