「日本皇太子が頭を下げて通るのは…」 ソウル崇礼門の城郭を撤去(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.01.08 14:49
◇電車の事故も多発=『高宗実録』高宗44年(1907年) 3月の記録には、議政府参政大臣の朴斉純(パク・ジェスン)らが高宗皇帝に崇礼門の左右の城郭を8間ずつ取り壊すことを要請する内容が出てくる。「崇礼門の周辺は人々で混雑し、車や馬が頻繁に出入りし、電車がその真ん中を通るので接触事故が頻発する」というのが理由だ。
続いて同年6月には、内閣総理大臣の李完用(イ・ワンヨン)らが興仁之門(東大門)と崇礼門の周辺の残りの城郭まですべて撤去することを王に求め、許諾を受けたという内容が記録されている。