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【時視各角】韓半島には春が来たというが…

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.04.04 08:35
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ジョン・ボルトン。米ホワイトハウスの新しい国家安保補佐官だ。彼はエール大ロースクールを出た。ビル・クリントン元大統領、ヒラリー氏とも一緒に通った。「ヒラリーは急進主義者」「ビルは授業に出ないが成績は良い最高の怠け者」と話す。人が集まってくる2人とは違い、彼は「非主流」だった。高校の時もそうだった。彼の父はボルティモアの消防官だった。親戚・知人もブルーカラーだった。経済的に裕福でなかった。しかしボルトンは「頭」だけは優秀だった。ボルティモア最高の寄宿高校に奨学金を受けて入った。富裕層ばかりの学校でボルトンはのけ者にされた。差別は差別を生むという。彼の性格はますます排他的になったという。父の経験も影響を及ぼした。1968年、黒人民権運動家マーティン・ルーサー・キング暗殺でボルティモアでは黒人の暴動が起きた。1200件の放火が発生した。消防車が出動すれば暴徒はホースを切断し、建物の屋上から消防官を狙撃した。多くの人が死んだ。ボルトンの父はその苦悩と恐怖を隠そうとした。命をかけて出動する父の後ろ姿を眺めながらボルトンは有色人種に対する憎悪を深めた。

彼は国連大使退任直後(2007年)に回顧録を出した。ここには2006年の潘基文(パン・ギムン)事務総長選出当時の話がある。彼は「日本が予備投票で潘基文に反対票を投じた」と書いた。それで自分が日本大使に会って「孤立するな」と忠告し、その後、賛成13票、反対1票、棄権1票(3次予備投票)だったのが賛成14票、棄権1票(4次予備投票)に変わったと伝えた。日本は「とんでもない」と一蹴する。実際、日本は早くから潘総長賛成側に傾いた状態だった。むしろ序盤、英国が旧英国領(インド・スリランカ)候補を支持し、フランスが親米派の潘総長を避けるという噂が多かった。真実は分からない。しかし「ボルトンがアジアを軽視する」という不満と不安が存在する。

 
実際、アジアだけではない。国連大使時代、彼は各国の大使と何度も衝突した。国務省時代には異議を提起する職員は容赦なく追い出した。一言で自分と違うカラー、国、考えを容認しない。

それでもボルトンは自らを「実用主義者」という。その証拠として「ダニエル・ウェブスターの再解釈」を挙げる。

ウェブスターは1837年の米国の国務長官だ。当時、英国は米領海まで入ってカナダの独立を要求する反乱軍の船舶「カロライン号」を沈没させた。するとウェブスターは「自衛的先制攻撃のためには▼急迫性▼圧倒性▼代案および手段の不在▼熟考の時間的余裕の不在--という4つの条件をすべて満たさなければいけない。それが必然的な前提条件だ」と英国を非難した。これは慣習的な国際法になった。ところがボルトンは「これを適用して北朝鮮に先制攻撃を加えることができる」という妙な論理を展開する。181年が経過して空間と時間の概念、武器殺傷力が変わったため、それに合わせて法を再解釈すればよいという主張だ。奇怪だが、それがボルトンの方式だ。何をするか分からない。

一部では「政府に入れば変わる」と期待する。しかし人はそれほど変わらないものだ。ボルトンの破壊本能は変数ではなく定数と見るのが正しい。トランプ一人を相手にするのも難しいが、それに劣らず疲れる相手を迎えることになった。不運だ。

北朝鮮の金英哲(キム・ヨンチョル)労働党副委員長が「南側が韓国哨戒艦『天安』爆沈の主犯という私、金英哲(キム・ヨンチョル)です」とのんきに話し、「資本主義の遊び人」と罵倒していた韓国のガールズグループが労働新聞1面に登場するのを見ると、確かに韓半島(朝鮮半島)には春が来たようだ。しかしボルトンの登場もそうであり、ワシントンの春ははるか遠い。この温度差が本当に負担であり心配だ。

金玄基(キム・ヒョンギ)/ワシントン総局長

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