【コラム】朝鮮時代の党派争いにも劣る韓国政治
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.07.24 15:24
燕山君(ヨンサングン)の時代である1498年、勲旧派と士林派の対立の中で戊午史禍(大規模な粛清)が広がった。成宗実録を編纂する過程で、士官のキム・イルソンが、実録の基礎となる史草に含めたキム・ジョンシクの“弔義帝文”が発端となった。世祖の即位過程で亡くなった端宗を、項羽によって死にいたった楚の国の義帝に例えた文だと勲旧派で問題にして、キム・イルソンら士林派は大きな災いを被った。朝鮮王朝実録の『燕山30巻』では戊午党派争いの始まりを「(ユ・ジャグァンが)ある日は袖の中から1冊の冊子を出すとまさにジョンジクの文集だった」と記述している。
党派争いは朝鮮時代のエリート集団内部で権力をめぐって広がった極端な政治闘争だ。韓国現代史で政権が交代した後、前の政権を狙った検察の捜査や特別検事制度によって、過去の実力者が監獄の苦しみを体験したり被選挙権をはく奪されて政治的な島流しをさせられるのが現代版の党派争いだというなら党派争いだろう。