【中央時評】「フィンランド化」という名の幽霊=韓国(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.06.09 10:56
もちろん彼らは、当時フィンランドが非同盟中立を標ぼうしながらも、国連のような国際舞台で親ソ路線を支持したという事実を認めた。しかしソ連との基本的な信頼があったため、フィンランドが73年にヘルシンキ協約を作り出し、軍備統制と人権問題を持続的に議論するヘルシンキプロセスを主導できたということだ。東西両陣営の間で「懸け橋」国家の役割を遂行したのだ。米国とNATOがフィンランドの領土を利用してソ連を侵攻するかもしれないというモスクワの懸念、逆にソ連がフィンランドを通じてスウェーデンとノルウェーを侵攻するかもしれないという西側の懸念を同時に払拭するため、国防分野で厳格に中立を堅持したりもした。この過程で、フィンランドはソ連の軍事脅威に備える強力な国防態勢を維持し、武器体系も米ソ両国から獲得した。
冷戦期間中、フィンランドの対ソ経済依存度が大きく深まり、その結果、ソ連の政治的な圧力に脆弱だった。輸出市場と安いエネルギー供給源の確保のため、70年代以降、フィンランドの対ソ貿易依存度は40%に迫ったりもした。しかし親ソ政策を主導したウルホ・ケッコネン大統領は「地球上のすべての国家が社会主義を選択するとしても、フィンランドは市場経済を守るだろう」と述べるほど、独自の経済路線を守った。対ソ経済依存を減らすための多角化戦略も怠らず、フィンランドの国民企業ノキアはまさにこうした努力から誕生したということだ。