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金正恩、韓国特使団到着3時間後に会合…金正日とは違った

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.03.06 09:12
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北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長が5日に韓国特使団を迎え異例の訪朝当日の会合をした。特使団が平壌(ピョンヤン)の順安(スンアン)空港に到着して3時間後だ。これは過去の南北会談の際に北朝鮮が動員した「接見遅延」や「サプライズ登場」とは差がある。

青瓦台高位関係者はこの日特使団の金正恩接見とその後に続く夕食を知らせ、「当初予定された通りに進められた」と明らかにした。南北は特使団の訪朝当日の接見と夕食の日程を事前に調整していたが、実際にこのまま進められたという意味だった。

これは父親の金正日(キム・ジョンイル)とは異なるスタイルだ。1998年に当時の鄭周永(チョン・ジュヨン)現代グループ名誉会長が北朝鮮を訪問した際に金正日は鄭名誉会長が泊まった百花園(ペクファウォン)招待所を予告なく夜遅くに訪ねてきて訪朝団を驚かせた。2005年6月に北朝鮮を訪問した鄭東泳(チョン・ドンヨン)元統一部長官は3泊4日の訪朝期間中、帰国前日夜になって「翌日の接見」を通知された。金正日は2000年9月の閣僚級会談の時は平壌にいた朴在圭(パク・ジェギュ)元統一部長官を突然自身が滞在していた咸鏡南道(ハムギョンナムド)に呼んだこともあった。

 
だが金正恩は韓国の公式政府代表団を初めて迎えたこの日、事前に南北が準備した日程通りにした。特使団と北側の最終日程確定も速戦即決で進められた。午後2時50分に平壌順安空港に降りた特使団は50分後に宿舎である高坊山(コバンサン)招待所で金英哲(キム・ヨンチョル)統一戦線部長と15分で接見・夕食時間を確定した。韓国代表団を迎えた後に連絡を避けたまま待たせて心理的不安感を誘導した過去の機先を制するスタイルとは違う。

東国(トングク)大学北朝鮮学科のキム・ヨンヒョン教授は、「金正恩委員長が国際社会に正常な国の指導者というイメージを与えようとしているのかもしれない。南北関係進展にスピード感を出したいという点も遠回しに見せた」と話した。しかしスタイル変化を北朝鮮政権の変化と感じるのは誤算という指摘も相変わらずだ。自由民主研究院のユ・ドンヨル院長は「西側を経験した金正恩が『神秘主義』を好んだ金正日と異なる部分があるだろうが、スタイルが変わったからと北朝鮮政権の本質まで変わるのではない」と指摘した。

この日北朝鮮は核心対南ラインを総出動させて特使団を迎えた。金英哲と李善権(イ・ソングォン)祖国平和統一委員長、メン・ギョンイル統一戦線副部長、イ・ヒョン統一戦線部室長らだ。イ・ヒョンが特使団を特別機内で出迎えた後、李善権とメン・ギョンイルが空港で特使団を迎えた。金英哲は宿所である高坊山招待所で特使団を待った。哨戒艦爆沈の主役とされ注目を集める金英哲は現在対南ラインの主軸だ。先月25日の平昌(ピョンチャン)冬季五輪閉会式の際に北朝鮮高位級代表団長として訪韓し、徐薫(ソ・フン)国家情報院長と非公開で会った。李善権は先月9日に金与正(キム・ヨジョン)労働党第1副部長が特使として訪韓し青瓦台(チョンワデ、大統領府)を表敬訪問した際に同席して文在寅(ムン・ジェイン)大統領の米朝対話要請の言及をメモに書き取った人物だ。メン・ギョンイルは盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権の時に南北閣僚級会談代表として出てきた会談通だ。韓国政府が2009年12月に開城(ケソン)工業団地の責任を担う北朝鮮側関係者を海外に視察させた時に北側の責任者だった。各種南北行事に常連で登場した。平昌五輪期間中には北朝鮮応援団250人の責任者として江原道麟蹄(カンウォンド・インジェ)のスピーディウムに滞在して現場を監督した。イ・ヒョンは金英哲訪韓時の随行員だった。北朝鮮が彼らを再び送り込んだのは特使団が訪朝期間中に離散家族再会など南北関係進展に向けた具体的な計画を議論したことを示唆する。



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