日本軍慰安婦問題ほど解けない歴史的難題も珍しい。国際的非難を冒すとしても絶対否定の立場を固守する日本の硬直した態度による。この問題が整理されずには歴史的和解は不可能だという話だ。先月末、米国を訪問した安倍晋三日本首相も例外ではなかった。首相が米国議会議員たちに謝ったという内容がこうだ。「20世紀は人権侵害が多かった時代が日本もそれに無関係ではなかった。苦痛と困難をしいられた慰安婦の方々に、そんな状況に置かれたことを日本首相として申し訳なく思う」
この発言は間接話法だ。日本も歴史の荒波にのまれて避けきれなかったという言い訳であると同時に、慰安婦問題において動員した疑いをとり除こうとする話術だ。ホロコースト博物館を建立するほどに真正性を見せるドイツとは違い、どうして日本は戦争責任と係わるすべての争点でむしろ自分を被害者とし、生存する慰安婦たちの血なまぐさい証言が続く状況でも間接話法に固執しているのか。歴史で人よりもっと確かな証拠がどこにあるか、動員の強制性を立証する歴史的文件を探してみろと強弁する姿には戸惑ってしまう。