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【コラム】医療英雄を優遇できない韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.03.03 10:40
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アフリカの南スーダンの小さな村トンジで、イ・テソク神父は8年間ほど過ごした。医師であり教師、司祭としてトンジを抱擁し、2010年に持病で死去した。イ神父の美しい生涯は『泣くな、トンジ』というドキュメンタリー映画、『友達になってくれる?』という本でよみがえった。彼は著書で1カ月間のコレラとの死闘を戦場として描写している。注射を先に打ってほしいという声、嘔吐と下痢、腹痛・筋肉痛の喘ぎ、悪臭に集まった数万匹のハエの群れ…。イ神父は「戦争のような1カ月、肉体的に非常に疲れる1カ月間だったが、霊的に恵み深く豊かだった」と表現している。

シエラレオネでエボラ患者を治療し、注射の針にかすったチェさんは13年前から救急医学専門医だ。娘(12)、息子(9)がいる40代の母であるため、彼女のアフリカ行きの決断には重みが感じられる。チェさんは国民日報のインタビューで「苦痛を訴える12歳の少女患者に『I am sorry, I am sorry』と言った。私が防護服をあまりにもたくさん着ていて申し訳なかった」と語った。彼女は「温かい素手で(少女の)手を握ることができず申し訳なかった」と日記に書いた。彼女は注射の針に刺さっても「エボラに感染すればどうしよう」という恐怖はなかったという。母性の力か、信仰の力かは分からない。医療関係者の原初的な姿ではないかと思う。

 
イ神父も、チェ専門医も韓国の“医療英雄”だ。韓国は韓国戦争(朝鮮戦争)当時、アフリカの助けを受けた。海外の援助で廃虚から立ち上がった。その韓国が米国・英国などと肩を並べて新種感染病救護団となった。日本も考えられなかったことだ。第1、2陣は戻り、第3陣はまだ孤軍奮闘している。残念ながらみんながこっそりと行き、こっそりと帰ってきた。身元が分かれば家族が被害を受けかねないという理由からだ。しかし第1陣の10人はすでに生活の現場に復帰したが、そのような被害を受けたという声は聞かれなかった。

1月末に第1陣が帰国する時、数人の官僚が空港で出迎えた。大統領や首相、与野党代表の姿はなかった。隔離期間中も同じだ。オバマ米大統領はエボラに感染して回復した看護師を抱きしめた。青瓦台(チョンワデ、大統領府)や国会だけが政治の空間でない。国民は「感性政治」に感動する。今月末に第3陣が帰国し、4月中旬に「安全」判定を受けた後、第1-3陣を集めて手を握っても、剥製化した絵にすぎないだろう。韓国はまだ英雄を礼遇する準備ができていない。

シン・ソンシク論説委員兼福祉専門記者

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