【噴水台】親日派「洪思翊」
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2004.03.03 21:08
「私の不義をことごとく洗い去り、私の罪から私を清めて下さい…。私は不義の中に生まれ、私の母は罪のうちに私をみごもりました」--。1946年9月26日、フィリピンの刑務所の絞首台。大日本帝国南方軍総司令部の洪思翊(ホン・サイック)中将(当時57歳)は、立ち会った牧師に対し、聖書の詩篇、第51篇を読んでくれと頼んだ。彼は、第2次世界大戦のA級戦犯として判決を受けた。
洪思翊が、自らの死の前で詩篇を聞こうとしたのは、戦争犯罪によるものではなかった。彼の内面を苦しめた親日行為を贖罪するためだった。洪思翊にとって、親日は出生の時に持って出た、原罪のようなものだった。洪思翊は、16歳の時、高宗(コジョン、朝鮮第26代王)皇帝が自主国防の棟梁を育成するために建てた大韓帝国陸軍武官学校に入学した。国権侵奪の1年前となる1909年、日本によって陸軍武官学校が閉鎖された。彼は高宗の命により、日本陸軍中央幼年学校に籍を移す。