明成皇后はどんな顔?

明成皇后はどんな顔?

2006年07月26日11時34分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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  明成皇后(ミョンソン皇后、1851~1895)と推定される写真が発見され、その真偽をめぐり論争が起こっている。

  イギリス出身の写真収集家テリー・ベネット氏(56)は25日、YONHAPニュースのロサンゼルス発記事を通じて大院君(テウォングン)と高宗(コジョン)らの実物が掲載されたアルバムを公開し、この中の1人が明成皇后だと主張した。

  日本の刺客によって無残にも殺害された明成皇后の実物は今まで確認されていない。ベネット氏が公開した写真のうち明成皇后の推定写真にはドイツ語の筆記体で「Die Ermodete Konigin(殺害された王妃)」という説明が書かれている。この写真は、名前は不明のドイツ人が乙未事変(ウルミ事変、明成皇后殺害事件)が起こる1年前の1894年に撮ったとされる。

  この写真の真偽をめぐり国内専門家の見方は食い違っている。

  



  ◆「明成皇后だ」=ソウル大イ・テジン(63、国史学)教授はアルバムの中の明成皇后推定写真と大院君写真の背景が似ている点に注目した。2つの写真の壁面とカーペットの模様が同じだというのだ。イ教授は「大院君が座った席に座って写真を撮ることができる女性は、大院君と相応の身分でなければならないはず」として「私は明成皇后だと思う。肯定的だ」と述べた。

  写真の中の人物の服装に対してイ教授は「明成皇后がチョクサムの室内着あるいは平服を着て撮ったようだ」と主張した。

  ◆「明成皇后ではない」=明智(ミョンジ)大チョ・ヒョスン(66、韓国服飾史)名誉教授は「写真の女性が着た衣装は皇后の服装ではない」とし「明成皇后ではない」と述べた。「皇后は普段、小礼服を着るが、それならチマチョゴリの上に唐衣を着なければならない。写真には唐衣が見られないので、これは宮廷服飾の礼法には当たらない」と強調した。

  月刊「韓服」キム・ヨンソン編集長も「チマ(スカート)が一重で中が透けている。国母がチマチョゴリの身なりで写真機の前に立っただろうか」という疑問を提起した。

  ◆新たなペン画も発掘、事実はいかに?=今回ロサンゼルスで公開された写真と別に『月刊中央』8月号はカナダトロントで発見された明成皇后の推定絵を発掘、報道した。

  1894年、ペンで描いたものと推定される肖像画だ。ロサンゼルスの写真が鋭い目元に厳しい印象であるのとは違い、トロントの絵は穏やかな印象の美人型顔だ。

  月刊中央のインタビューでイ・テジン教授は「王妃の頭にかんざしを2つさすことができた時期に描かれたので明成皇后の絵に間違いないようだ」と明らかにした。

  それなら今回、ロサンゼルスで発見された写真と月刊中央8月号の絵は同一人物なのか。これに対してイ教授は「ロサンゼルスの写真と月刊中央8月号の絵を綿密に比較検討してみる」としているが「明成皇后実物の真偽にかかわる長年の検討の結末を見られるかもしれない」と話している。

  ◆ベールに包まれた明成皇后という実物=しゅうとに当たる大院君と夫の高宗、そして高宗の娘徳恵(トクヘ)翁主と純宗(スンジョン)妃の尹妃らの写真が残っているのに対し、明成皇后の写真は残されていない。

  今回の写真について義親王の孫で国立古宮博物館専門委員であるイ・ヘウォン氏は「興宣(フンソン)大院君の祖父の妾である可能性も考えてみる」と話している。また「年齢が八十を過ぎた(私の)おばたちによると、明成皇后は顔にできものの跡があって外に出たがらなかったということだ」とし「もちろんこう話すおばたちも幼いころに聞いた話だから、実際に見て確認したわけではない」と付け加えた。
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