주요 기사 바로가기

韓国の百貨店、10年前の日本の失敗に似ていく(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.12.06 09:26
0
1/2
2004年にオープンした三越百貨店日本橋本店新館。
「定年を迎える団塊の世代の心をつかむ」。

2004年10月、三越百貨店日本橋本店の新館オープンを控え中村胤夫社長の抱負はしっかりしていた。団塊の世代は1947~49年に生まれた日本のベビーブーム世代で、700万人に上る。こうした形で1990~2000年代に日本の百貨店は一種のチキンゲームを行った。バブル経済崩壊で消費市場が萎縮すると競合会社を枯死させるための規模の競争が広がった。1990年代半ばに280店あった百貨店の数は1998年には310店に増えた。伊勢丹新宿本店など有名百貨店の新館もほとんどがこの時にできた。

 
しかし出血競争で看板を下ろす百貨店が続出した。日本の百貨店数は現在230店に減った。新館開店初年度に2906億円だった三越百貨店日本橋店の売り上げも昨年は1683億円に減少した。

最近韓国の百貨店が規模の競争を行っている点は注目すべきだ。17カ月にわたる工事を終え8月にリニューアルオープンした新世界百貨店江南(カンナム)店はソウル最大規模の百貨店というタイトルを手にした。

現代百貨店も汝矣島(ヨイド)パークワンに8万9100平方メートル規模の超大型百貨店を作っており、ロッテ百貨店小公洞(ソゴンドン)本店は10月に拡張承認を受け増築を進める。昨年オープンした現代百貨店板橋(パンギョ)店は東洋最大規模を誇り、ロッテ百貨店釜山(プサン)本店も拡張に出る。11月に全国の百貨店数が100店を突破するなど店舗数競争も盛んだ。

2012年からマイナス成長が続く韓国の百貨店はなぜ競争的に規模を拡大しているのか。新世界関係者は「顧客の滞留時間を増やし売り上げを増やすには便宜施設を拡大して多様な売り場を設置するほかはない。プレミアム百貨店としての価値を高めるために高級化戦略も並行している」と説明した。90年代の日本の百貨店競争と似た脈絡だ。

バブル経済崩壊後に日本の百貨店の大型化競争は激しかった。売り場が広くなり出店企業が増えれば売り上げとブランドパワーを育てられると判断した。「最高」というタイトルを守るためにインテリア費用を増やすなど高級化戦略も使った。しかしこうした戦略はコスト上昇を招く一方、中間所得顧客の離脱につながった。特にオープンマーケットとアウトレット、地下鉄駅の総合ショッピングモールの変身は百貨店の没落をあおった。

その結果今年も西武百貨店旭川店が閉鎖するなど昨年2月から11店が閉店した。経営難に苦しめられた百貨店同士が統廃合し、会社数も2008年9月の92社(協会調査対象基準)から今年10月には81社に減った。バブルの最中の1991年に9兆7130億円に達した百貨店売り上げは2004年に7兆8194億円、2008年に7兆1741億円、2015年に6兆1453億円と減少傾向だ。関西大学経済学科の佐々木保幸教授は論文で「百貨店の大型化が経営上負債負担を育てた。買収合併など経営統合以降の過剰出店状況が整理されている過程」と説明した。

特に衣類部門の不振が業界に致命傷を負わせた。衣類は百貨店売り上げの半分近くを占める核心収入源だ。しかし不景気で多くの消費者がホームショッピング、オープンマーケットに目を向けた。収益性が落ちた百貨店は「プレミアムマーケティング」に力を入れたが、日本の百貨店の衣類売り上げは2011年の2兆1569億円から2015年には1兆9816億円と8.1%下落した。


韓国の百貨店、10年前の日本の失敗に似ていく(2)

関連記事

最新記事

    もっと見る 0 / 0
    TOP