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<慰安婦生存者13人証言>おばあさんの子どもたち(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.09.03 10:43
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「いつも水曜集会、水曜集会というからみんなうんざりしているだろう。でもまだましだ。最初は何を自慢しているのかという人たちもいたから」。

金福童(キム・ボクドン)さん(89)が毎週水曜日、ソウル鍾路区(チョンノグ)日本大使館の前に姿を現してから今年で24年目だ。金さんは1992年2月26日、韓国挺身隊問題対策協議会(挺身隊対策協)が主催した「第7回日本軍慰安婦問題解決のための水曜集会」に初めて参加した。来月14日には1200回目の集会を控えている。

 
金さんは体調が深刻に悪くないかぎり毎週水曜集会に参加する。90歳を控えた年齢で、すでに左目は視力を失い、右目もあまり見えないが、いつも日本大使館へ向かう。

「日本の蛮行を考えれば365日間ずっと憂うつになるが、ただ一つ力が出るのは集会に出る時だ。自分のことでもないのに、私たちのことを考えて集会に参加している人たちがいる。その人たちに会う時が一番有難く、うれしい」。

水曜集会は91年に金学順(キム・ハクスン)さん(97年死亡)が慰安婦の実情を初めて証言した後、翌年1月に始まった。当時、釜山(プサン)で一人で暮らしていた金福童さんは列車に乗ってソウルに行き、集会に参加した。日本大使館に向かって時には沈黙で、時には大きな声で抗議したが、返ってきたのは無反応だった。金さんは「当初は被害者が直接公開して話をすれば分かってくれると思った。謝罪もすぐあると思っていたが、そうではなかった」と述べた。

日本政府よりつらい思いを抱かせたのは、裏でこそこそと話す一部の市民だった。「当時は今のように交通も良くなかった。夏には汗をだらだら流し、冬にはぶるぶる震えながらバスに乗り、かなり歩いて集会に参加すれば、冷たい視線を向ける人たちも多かった。子どもの目を隠す人たちもいて…」。

心が折れる日もあった。「『民族の恥部を見せてどうするつもりか』という人もいた」。

2000年代に入ると他の慰安婦被害者も集会に参加し始め、市民の参加も増えた。今は毎回100-700人の市民が慰安婦被害者と一緒に水曜集会を守っている。2011年12月の1000回目の水曜集会には全国から約3000人の市民が参加した。日本・米国・台湾・フィリピンなど海外でも水曜集会が開かれ、2013年9月には仏パリで女性団体や同胞など約100人が集会を開いた。


<慰安婦生存者13人証言>おばあさんの子どもたち(2)

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    <慰安婦生存者13人証言>おばあさんの子どもたち(1)

    2015.09.03 10:43
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    金福童(キム・ボクドン)さんが2013年7月30日、米グレンデール市立図書館の前で行われた「平和の少女像」除幕式に出席し、少女像に触れている。(中央フォト)
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