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【コラム】塩野七生の「絶好のチャンス」(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.09.18 10:33
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塩野七生(77)は刺激だ。その感情は極端を行き来する。彼女は『ローマ人の物語』 『わが友マキアヴェッリ』を書いた。その作品は魅力だ。塩野は日本軍慰安婦について書いた。その文章は嫌悪だ。日本の雑誌『文芸春秋』(10月号)への寄稿だ。

題名は『朝日新聞の“告白”を越えて』だ。「告白」は吉田清治(1913-2000)の自叙伝のものだ。吉田は「軍の命令で済州から慰安婦を強制的に連行した」と主張した。朝日新聞は吉田の関連記事(1980-90年代)を誤報と判断した。そして取り消し、謝罪した。

 
塩野は「慰安婦問題に欧州や米国の人々の関心までも引くほどになった。この変化は手術が不可欠だ」と述べた。寄稿はこのように断言する。「人間には、恥ずかしいことや悪いことをしたと感じた場合、強制されたのでやむをえずやったと言い張る性向がある。くり返して口にしているうちに、自分でもそうと信じることになる」。慰安婦女性の陳述は自己催眠ということだ。その判断は、慰安婦を強制連行しなかったという確信と連結する。塩野の著書は歴史と人間に対する洞察を追跡する。彼女はその経験を慰安婦問題に適用した。その試みは失敗する。

慰安婦の証言の本格的な時点は1990年代前半だ。慰安婦女性がおばあさんになる頃からだ。若い頃は過去の傷を隠した。家族と親、韓国の社会情緒のためだ。しかし年輪は内面を変化させた。怒りがうごめく。恥ずかしさは後に回された。怒りは勇気を生む。暴露は強制連行された悪夢の脱出口だ。その感情は人間性の本質だ。塩野は年輪の力と微妙さを軽視した。彼女の認識は偏向と傲慢だ。

塩野の寄稿には緊急提案がある。「オランダ人も慰安婦にされたという話(朝日報道)が広まろうものなら大変だ。そうなる前に急いで手を打つ必要がある」と書かれている。その話はジャワ島スマラン事件だ。1942年、太平洋戦争当時、日本軍はインドネシアを占領した。そこはオランダの植民地だ。日本軍はその地域のオランダ人女性も慰安婦として動員した。

塩野の助言は遅かった。オランダ下院は「日本は河野談話に反する発言をするべきでない」と決議した(2011年)。その話は欧州に広まっている。オランダの市民団体(日本名誉負債財団)は拡散に率先する。


【コラム】塩野七生の「絶好のチャンス」(2)

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