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明仁天皇の韓国との縁

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.08.09 10:48
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明仁天皇が8日に生前退位の意向を表明しながら韓日関係に及ぼす影響も注目されている。彼は自ら「百済の子孫」と話すなど韓国に親近感を示してきた。日帝の韓半島(朝鮮半島)侵略についても何度も遺憾の意を表明してきた。

明仁天皇が1990年、盧泰愚(ノ・テウ)大統領の日本への国賓訪問の際に「我が国によってもたらされた不幸な時期に貴国の人々が味わわれた苦しみを思い、私は痛惜の念を禁じえない」と明らかにしたのが代表的だ。天皇は94年3月、金泳三(キム・ヨンサム)大統領に会った時も「朝鮮半島(韓半島)の人々に多大の苦難を与えた一時期があった。私は先年、このことにつき私の深い悲しみの気持ちを表明したが、今も変わらぬ気持ち」と言及した。彼は2005年6月、米国領サイパンの韓国戦没者慰霊地である「韓国平和記念塔」に参拝もした。

 
最近では安倍晋三首相の右傾化の動きを憂慮する発言で日本国内のバランスをとってきた。昨年8月に東京で開かれた「全国戦没者追悼式典」に参加し「先の大戦に対する深い反省と共に今後、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に希望する」として過去の歴史に対する責任を強調した。彼が12歳だった1945年に経験した第2次世界大戦の敗戦が影響を及ぼしたという分析が出てくる。

彼は皇太子だった時期から直間接的に「韓国を訪問したい」と話してきた。2001年12月に68歳の誕生日を前にした記者会見で「『続日本記』に桓武天皇(737~806年)の生母が百済の武寧(ムリョン)王の子孫だと記録されている」として韓国との特別な縁を強調することもした。天皇一家が公開の席上で韓半島との関係に言及したのは初めてだった。2005年皇室に韓国の料理人を招いてキムチ・チャプチェのパーティーを開催し、2007年には東京の地下鉄線路に落ちた日本人を救おうとして亡くなった故イ・スヒョン氏を素材にした映画の観覧もした。

明仁天皇は昭和天皇と香淳皇后の2男5女の中の長男として生まれた。1956年3月、皇族の学校である学習院大学政経学部聴講生課程を終えた。翌年3月あるテニス大会で一般市民だった美智子さんに会って一目惚れし交際を始めた。59年4月、身分を越えた恋愛結婚で世間の注目を集めた。美智子皇后との間に徳仁皇太子(56)をはじめ2男1女を置いている。89年1月に第125代天皇に就任した彼の年号は平成だ。

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