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【中央時評】李明博の回顧録、半分の勇気(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.02.04 11:21
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ところがそうではない。本を閉じることができない。重要なものが抜けたのだ。それは他でもない告白の勇気だ。回顧録に広報は多いが、懺悔はない。李大統領には重要な失策3つがある。兄の李相得(イ・サンドゥク)、朴槿恵(パク・クネ)、そして延坪島(ヨンピョンド)だ。これに関する真実が本にはない。

国民の声を聞いていれば、李大統領は李相得事態を防げただろう。李大統領が執権すると、多くの国民が兄の出馬に反対した。歴代政権で見られた親族の問題を記憶していたからだ。ところが李大統領は血縁に頼った。結局、兄に人とお金が集まった。兄は資源外交で避けたが、それも非正常だった。ついに出てくるものが出てきた。金泳三(キム・ヨンサム)の息子の賢哲(ヒョンチョル)は銀行口座、金大中(キム・デジュン)の息子の弘業(ホンオプ)はマンションのベランダ、盧武鉉(ノ・ムヒョン)の家族はラーメンの箱からお金が出てきた。兄の李相得はタンスだった。兄の友人、補佐官、大統領の友人、大統領夫人の親戚も監獄へ行った。

 
李明博グループは権力の刀を振り回した。2008年の総選挙当時、親朴系統を虐殺した。朴槿恵は「私もだまされ、国民もだまされた」と絶叫した。有権者は朴槿恵を助け、李大統領を懲罰した。朴槿恵の扱いを誤って李大統領は試練を迎えた。BSE(牛海綿状脳症)と世宗(セジョン)市で李大統領は必要な協力を得られなかった。葛藤は今でも続いている。

回顧録の延坪島記録は無責任なものだ。李大統領は韓国軍が十分に報復できないのを軍のせいにした。誤った交戦守則にとらわれたということだ。軍の最高命令権者は誰なのか。大統領ではないのか。延坪島の8カ月前にすでに韓国哨戒艦「天安」が発生していた。李大統領は当時、北朝鮮の攻撃であることを知った。なら、李大統領はその後、天安まで合わせて北朝鮮に報復するという戦略を立てるべきだった。F-15Kのような武器体系も勉強し、指揮官と報復作戦を協議しておくべきだった。そのような準備もせず、実際に紛争が起きると責任を下に転嫁した。

勇気にはいろいろな顔がある。金融危機に対抗し、不屈の意志で肺病と戦うのは立派な勇気だ。しかし血の涙で過ちを記録するのも同じく偉大な勇気だ。大統領の半分の勇気のために5年間の追憶が中途半端になっている。勇気があったとすれば、韓国は葛藤を乗り越えて前進しているだろう。イニシャル(initial)の運命なのか。李大統領は結局、Memoir Barrier(回顧録の障壁)を越えることができなかった。

キム・ジン論説委員・政治専門記者


【中央時評】李明博の回顧録、半分の勇気(1)

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