【グローバルアイ】結局は経済・核並進路線との戦いだ=韓国
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.03.15 07:48
金日成(キム・イルソン)の経済・国防並進路線は北朝鮮の現代史で一大変曲点だった。金日成は1962年にこの路線を提示した。「片手に武器を、片手に鎌とハンマーを」というスローガンはこの時に出てきた。朴正熙(パク・ジョンヒ)執権から1年後だった。並進路線は66年に公式化された。北朝鮮は翌年から5年間、予算の30%ほどを国防費に投じたと発表した。以前まで比率は約19%(推定値)だった。金日成は70年の第5回党大会で困難を吐露した。「我々の国防力は大きくて高い代価で実現された。実際、我々の国防費支出は国と人口に比べて非常に大きな負担となった」。金日成は第1次7カ年経済計画(61-67年)を3年延長した。過度な軍事費の後遺症は大きかった。経済で南北間の逆転が生じた。
金日成が新しい路線を持ち出したのは晩年だった。93年に第3次7カ年経済計画(87-93年)をまた3年間延長し、農業・軽工業・貿易の3大第一主義を提示した。当時の姜成山(カン・ソンサン)首相は報告で「我々の経済は発展の速度と均衡を失った」と述べ、その理由に戦争の脅威による防衛力強化などを挙げた。核に対する執着もそうだ。金日成は武器の核と平和の核(原子力)のうち前者を選択した。韓国の原子力は産業立国の土台、北朝鮮の核は国際社会制裁のブラックホールという格好になった。並進路線の終着駅は90年代半ばの「苦難の行軍」だった。