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【コラム】終戦宣言は平和を保障できなかった(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.11.16 14:37
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歴史の荘厳な瞬間がある。指導者はその場面を生産する。その風景はフランスで行なわれた第1次世界大戦終戦100周年記念行事で繰り広げられた。決定的な姿はコンピエーニュでのマクロン仏大統領とメルケル独首相の共同行事だ。コンピエーニュはパリから北東に80キロメートル離れている。そこで4年4カ月間の戦争(1914~1918)の終息宣言があった。その日は1世紀前の1918年11月11日だ。フランスとドイツの勝敗が分かれた日だ。ドイツは降伏した。

マクロン大統領とメルケル首相は終戦記念日の前日にコンピエーニュを訪れた。そこにある記念物に塗られた記憶の色彩は強烈だ。博物館に「休戦の客車」が展示されている。終戦式典はその中で行われた。客車は連合軍司令官フォッシュ(Foch、フランス軍元帥)の移動事務室だった。フォッシュ司令官はドイツの無条件降伏を促した。

 
今月10日、BBC放送は2人が会う様子を中継した。私はかなり前にその場所に行ってみた。画面は興味深く展開した。コンピエーニュは激しい大どんでん返しのドラマだ。そこには勝者と敗者、喜びと絶望、復讐と怨恨が絡まっている。1918年11月の場面はフランスの歓喜だ。その中には47年ぶりの雪辱が含まれている。1871年の普仏(プロセイン・フランス)戦争でフランスは完敗した。プロセインはドイツ連邦の核心だ。

その22年後に状況は逆転した。第2次世界大戦初期の1940年5月。ナチスドイツの電撃戦にフランスは6週間で降伏した。ヒトラーは歴史を複製した。ヒトラーは休戦客車を外に引き出した。ヒトラーはそこで猛烈な復讐の美学を誇示した。同じ場所と現場、同じ儀式だ。フランスは降伏文書に署名した。ヒトラーは22年前のフォッシュ司令官の席に座った。

1950年代にフランスはコンピエーニュに第1次大戦の記念物を復元した。客車は複製品だ。「アルザス・ロレーヌ記念彫刻像」もリニューアルされた。その彫刻像は長い刃物(フランス)でドイツ帝国の鷲を刺している。鷲は逆さに倒れた形だ。それは軽蔑と報復の激烈な表出だ。

行事の時、マクロン大統領はメルケル首相の到着を待った。マクロン大統領が立っていた場所がその巨大な彫刻像の前だ。78年前にヒトラーが訪問した時、彫刻像は覆われた。ナチの象徴であるハーケンクロイツで隠された。今回はそうではなかった。2人は以前の記念物を意識しなかった。森の中の空間を気軽に歩き、休戦の客車に入った。過去の2度の調印式の時は両者は向かい合った。マクロン大統領とメルケル首相は手を取り合い並んで座った。その姿勢は和解と平和の結束を示している。それは両国のリーダーシップの勇気と知恵の遺産だ。1962年にドゴール仏大統領とアデナウアー独首相は宿命のパートナーとして新たに出発した。


【コラム】終戦宣言は平和を保障できなかった(2)

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