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【時視各角】復活したハイニックス、誰が生かしたか=韓国(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.11.26 09:32
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1990年末、京畿道利川(キョンギド・イチョン)の現代電子半導体工場(現SKハイニックス)を訪問したことがある。冬休みに現代グループのインターン社員に応募したが会社の教育プログラムが現代グループ系列会社の現場を回るということだった。当時、現代電子半導体工場は巨大なコンクリート建物に窓が小さくついている大型テントのような寂しげな印象を受けた。案内する職員は工場建物を1年で完工したと自慢した。現代は工期を早めるために冬季にはバーナーを燃やしてコンクリートを乾したという。

金大中(キム・デジュン)政府の時、ビッグディール政策により現代電子はLG半導体を合併した。2001年、社名をハイニックス半導体に変更した。しかしDRAM価格の下落でハイニックスは破産危機に陥った。ハイニックスは大宇(デウ)自動車とともに債権銀行の悩みの種だった。当時、銀行の出入り記者をしている時だった。記者の間でもハイニックスの独自生存は不可能だというのが意見が大半だった。「半導体産業は果敢な設備投資で市場を先行獲得しないと成功できないのに、資金難のハイニックスは結局消えてしまうほかない」という主張が説得力をもって耳に入った。買収を買って出た米国のマイクロンが出した条件は屈辱的だった。それでも政府と債権団は売却を強行した。だが、当時の政府と債権団が見逃した資産があった。ハイニックスの職員だった。職員は「我々の自尊心と魂を担保にする」として構造調整に参加した。

 
2万2000人余りの職員のうち半分を減員して5回にわたり賃金を凍結した。設備投資する資金がなく、200ミリのウェハー工場を300ミリ工場にリフォームして使った。高価装備を改造して再び使う「ブルーチップ」プロジェクトで9500億ウォン(約1007億円)の投資効果を上げた。4つの工場を陸橋で結び職員がひとつひとつ加工品を移した。職員は毎日戦争をする姿勢で仕事に没頭した。そうでなければ、ある役員が経営革新事例をまとめた冊子の題名を『21世紀乱中日記』とはしなかっただろう。生きるための苦闘が生産性を高める奇跡を起こしたのだ。95年、世界DRAMメーカーは26社だった。NEC、日立、東芝、三菱、富士通など日本屈指の企業が参加していた。その後、激しい価格競争で「チキンゲーム」を経た結果、現在はサムスン電子、SKハイニックス、マイクロンだけが生き残った。ハイニックスを安値で吸収しようとしたマイクロンは日本エルピーダを買収したが業界3位に追いやられた。


【時視各角】復活したハイニックス、誰が生かしたか=韓国(2)

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