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河野前衆議院議員「韓半島の重要な時期…金大中氏が必要だ」

2009.08.14 11:02
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13日は金大中(キム・デジュン)元大統領が東京で拉致され生還し36周年になる日だ。 1973年に金大中救命運動を行った河野洋平前衆議院議長がこの日をむかえる感慨は格別だ。当時36歳だった彼は3選議員で文部省(現文部科学省)政務次官だった。救命運動を契機に近づき始めた金元大統領と河野前議長は互いを格別に大事にする仲になった。以後2人の指導者は韓国大統領と日本外相として会い、韓日関係を一層厚くさせた。

 
12日に東京にある河野前議長の事務室で彼に会った。彼は「金元大統領は韓国史で最も大きな時代を開き、韓国人の胸に自負心を植え付けた人だ」と評価した。それとともに「今韓半島は大変重要な時期だ。このような時にノーベル平和賞を受賞した金元大統領が韓半島とアジア、そして若い人々に伝えるべきメッセージは多い。病床からまた起き上がり会える日を期待している」と述べた。

最長寿衆議院議長を過ごした彼は先月衆議院が解散して議長から退き、政界を引退した。14選議員で自民党総裁と外相・官房長官などを歴任した。

--13日は金元大統領の拉致生還から36周年だ。

「そうだ。73年8月8日に金大中という韓国の政治家が東京のグランドパレスホテルから拉致されたという知らせを聞いた。状況から拉致されたのは明らかだという確信ができた。救命運動に乗り出したのは70~80年代に平和軍縮運動をした故宇都宮徳馬議員だ。 私たちは首相官邸と外務省を駆け回り事態の深刻性を知らせた。韓国政府はもちろん米国政府を通じ韓国政府に圧力を加えてくれることを促した。以後、彼が韓国で民主化運動をする姿を関心を持って見守った。説得力ある彼の雄弁力、民主化に対する彼の熱望とエネルギーに敬服するほかなかった。政治家として彼を尊敬している」

--金元大統領との親密だが。

「金元大統領が97年に大統領に当選した時はとてもうれしかった。金元大統領からの電話を直接受け実感した。中曽根康弘、竹下登氏らで構成された大統領就任式使節団に私は含まれなかった。ところが後に金元大統領が個人的に招いてくれた。忙しい就任式の日に金元大統領が別に会おうと伝えてきて、2人だけで会い懐抱を解いた思い出がある」

--金前大統領との親密な仲が外相時代(1999~2001)に韓国関連政策に影響を及ぼしたか。

「金大中大統領在任時に確固とした韓日相互理解関係をまとめなければならないという覚悟だった。歴史教科書問題などの葛藤要因も多かったが、金元大統領は98年に小渕恵三首相と『21世紀の新韓日パートナーシップ宣言』を発表した。難攻不落の城だった韓国の日本文化開放決定もこの時に下された。彼の任期最後の年の2002年に私は肝移植手術を受け主治医から人の多い所と飛行機は避けなければならないという診断を受けた。どうにか金元大統領と青瓦台(大統領府)で会い、韓日関係を理解し助けたことに対し感謝の気持ちを伝えたかった。 そこで医師に内緒で韓国行の飛行機に乗った。2003年1月頃だ。金元大統領は「無理をしてまでなにしに来たのか」と言っていたがうれしいそぶりは歴然としていた」

◆河野洋平=自民党内の代表的な穏健派政治家で護憲論者。1993年の官房長官時代には日帝の従軍慰安婦強制動員を認め日本政府の謝罪と反省を表明した「河野談話」を発表した。


【ニュース特集】金大中元大統領逝去


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