주요 기사 바로가기

【コラム】ドイツの統一と再統一=韓国(1)

ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版2014.11.25 17:54
0
ドイツ再統一(Deutsche Wiedervereinigung)を導いたベルリンの壁崩壊が今月9日で25周年を迎えた。ドイツは1990年10月3日、旧ドイツ民主共和国(東ドイツ)に属した州がドイツ連邦共和国(西ドイツ)に連邦の一員として加入しながら統独を成し遂げた。国家対国家ではなくて、地方自治体が個別的に連邦に加入する「地方自治体連合」という統一形式が注目される。韓国も統一に備えて戦略的な地方分権制整備が必要であることを知らせる内容だ。

90年の統独をあえて再統一と呼ぶ理由は、1871年1月18日、プロイセン王国主導でなされたドイツ統一(Deutsche Einigung)と区分するためだ。英語でも1871年のドイツ統一(Unification of Germany)と90年のドイツ再統一(German reunification)は用語が違う。

 
俗にドイツ統一は武力で、再統一は外交交渉で成し遂げたとみる傾向がある。ドイツ統一は1864年にデンマーク、1866年にオーストリア・ハンガリー、1871年にフランスと繰り広げた3度の戦争でプロイセン軍が勝利して成し遂げれらたとされている。戦争をすべて勝利に導いた統一宰相オットー・フォン・ビスマルク(1815~1898)が「鉄血宰相」で呼ばれたのもこのような信頼の一助となった。このニックネームは彼が1862年9月30日、プロイセンの議会格であるラントターク(州議会)の予算委員会で行った演説から始まる。当時「この時代で最も重要な課題(統一)は演説と多数決でない鉄と血でなされる」と話した。ビスマルクは統一議論のために1848年と49年に開いたフランクフルト議会で演説と多数決に依存して何の結実も結ぶことができなかったことを「大きな失敗」と非難した。ここで言及した「鉄血」は武力というよりはむなしい言葉と主張に比較される、経済力や軍事力など現実的で実質的なすべてのものを意味したと思われる。(中央SUNDAY第402号)


【コラム】ドイツの統一と再統一=韓国(2)

関連記事

最新記事

    もっと見る 0 / 0
    TOP