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【コラム】自主か、追従か…韓国、カナダ外交を教訓にすべき(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.08.20 13:45
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カナダ外務省庁舎の名前は「ピアソン・ビル」だ。1973年に新庁舎を竣工して付けられた。カナダの外交官で政治家だったレスター・ピアソン(1897-1972)を称えるためだ。ピアソンは外相在任中、スエズ紛争を解決するのに寄与した功労でノーベル平和賞を受けた。カナダ福祉制度を完成した首相としても名高い。カナダ最大都市のトロントのピアソン国際空港にも彼の名前が残っている。

ベトナム戦争が本格化した1965年、ピアソン首相は米国を訪問し、フィラデルフィアのテンプル大学で演説した。米国の北ベトナム爆撃を批判し、外交的な解決法を促す内容だった。激怒したリンドン・ジョンソン米大統領は翌日、大統領別荘のキャンプ・デービッドに彼を招いた。隣国の首脳を呼んでおきながら、ジョンソンは一言も話さなかった。しばらくして突然テラスに引きずり出し、「他人の家の部屋で小便をするとは何事だ」と言いながら1時間近く胸ぐらをつかんだという。

 
36年の経歴を持つ元日本外交官の孫崎亨はカナダ勤務中に聞いたこのエピソードを紹介しながら、「ピアソン事件」を契機にカナダ外務省は「いくら圧力を受けても米国に言うべきことは言う」という伝統を受け継いできている、と強調する。外務省庁舎に彼の名前を付けたのも、彼の自主外交精神を忘れないでおこうという趣旨だという。ジョンソンの圧力にもかかわらず、ピアソンはついにベトナムに戦闘兵を送らなかった。国連安保理の承認がないという理由で、カナダは03年、イラク戦争参戦も拒否した(『米国は東アジアをどう支配したか』)。

孫崎は第2次世界大戦終戦以降、日本の外交は対米追従外交だったと話す。石橋湛山や鳩山由紀夫のように自主路線を標ぼうした首相もいなかったわけではないが、米国より日本で先に排斥されたという。政界、官僚、財界、メディアの対米追従グループから組織的な攻撃を受け、ほとんどが短命政権で終わった。政治資金関連不正を前面に出した検察とメディアの合同攻勢や米国との関係悪化を懸念した党内の反発で政治生命が終わったということだ。

一方、吉田茂、池田勇人、中曽根康弘、小泉純一郎など長期政権に成功した首相は、例外なく対米追従グループに属したと孫崎は指摘している。徹底した反共と対米追従に基づいた「吉田ドクトリン」が戦後日本の外交政策基調となり、日米関係で米国は永遠の甲、日本は永遠の乙として定着したという主張だ。


【コラム】自主か、追従か…韓国、カナダ外交を教訓にすべき(2)

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