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【噴水台】スーパースターK

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2010.10.24 08:17
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大会がスターをつくるのか、スターが大会を輝かせるのか。1970年代のユーロビジョン・ソング・コンテストなら、断然「大会」側に重みがかかる。ヨーロッパ放送連合加盟国の歌手が国家対抗戦を行うこの大会は、名実ともにスターの産室だった。スウェーデンの無名グループだったABBAも74年に「恋のウォータールー(Waterloo)」で優勝した後、すぐにワールドスターの座に上がった。

 
80年代以降、この大会の名声は色あせた。世界ポップ市場が急速に米国中心に改編されてしまったからだ。88年にはカナダ出身のフランス女性歌手セリーン・ディオンが抜群の歌唱力を誇って優勝したが、彼女が世紀のディーバ(diva)に成長したのは、5年後に英語で「パワー・オブ・ラブ」を発表してからのことだ。人々がディオンのプロフィールを見て、ユーロビジョン・ソング・コンテストを記憶する時代が来たのだ。

23日未明に2人目の優勝者を出したのど自慢大会「スーパースターK」が話題を量産中だ。ケーブルテレビでは空前の15%台の視聴率を記録した。新人歌手選抜大会がこれほど大きな波紋を起こしたことは、30余年前の「大学歌謡祭」を連想させる。77年に始まった「MBC大学歌謡祭」も盛り上がったのは2年目の78年だった。第1回大会の成功でレベルの高い参加者が数多く集まり、参加者のうちペ・チョルス、ノ・サヨン、イム・ベクチョン、シム・スボンらが80年代の大衆文化の主役に成長した。同じく78年に始まったTBC(東洋放送)「海辺歌謡祭」もワン・ヨンウン、チュ・ビョンジン、グ・チャンモ、イ・チヒョンらを輩出した。その後、さまざまな大学生歌謡祭が韓国放送・歌謡界の登龍門に定着した。

90年代以降、歌謡界は個人の才能よりも企画会社の育成能力が重視される方向に変わった。大学生歌謡祭は輝きを失っていった。こうした状況で「スーパースターK」の成功は‘作られた歌手’に対する反発と解釈できる。この大会がこれから名声をずっと維持するかどうかも、結局、この大会出身の新人が新しい流れを作りながら歌謡界に根を下ろせるかどうかにかかっている。

参考に多くの「スーパースターK」挑戦者が記憶しなければならない人物がいる。シム・スボンだ。大学生歌謡祭出身の多数のスターのうち最高の歌手に選ばれる。しかし彼女は大会で何の賞も受けられなかった。「あまりにも既成歌手の雰囲気が漂う」という理由だった。「スーパースターK」も同じではないだろうか。優勝者は決まったが、本当の勝負は今が始まりかもしれない。

ソン・ウォンソプJES記者

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