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<インタビュー>テオ・ゾンマー氏「統一の機会が訪れたら逃さずつかめ」(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.10.10 16:20
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金永熙=ドイツ統一が結果的にゴルバチョフの位置づけを弱めさせ、ソ連の改革政策が破産し、ソ連帝国の崩壊までもたらした。

ゾンマー=プーチン露大統領はソ連崩壊が20世紀の最も大きな悲劇だ述べた。ドイツには祝福だった。ゴルバチョフがドイツ統一を支持したのは彼だけの哲学的な決断だったと考える。当時の独ボン駐在ソ連大使だったバレンティン・パーリンに直接聞いた内容だが、コール首相とゴルバチョフが会談した後、パーリンはゴルバチョフに公文を送り、ドイツ統一に賛成せずドイツを北大西洋条約機構(NATO)から脱退させることを建議した。しかしゴルバチョフはこのように回答したという。「バレンティン、列車はすでに出発した」。ソ連は当時、東ドイツのデモを武力で鎮圧する選択肢があった。当時、東ドイツ駐留のソ連軍は40万人にのぼった。欧州で天安門事件のような悲劇が発生する可能性もあった。しかしゴルバチョフは武力で東ドイツのデモを阻止しなかった。

 
金永熙=コール首相をどう評価しているのか。

ゾンマー=私はコール首相のファンではないが、彼が統一のためにした決断を支持する。「神が通り過ぎるときにその裳裾をつかもうとするのが政治家の任務」というビスマルクの言葉がある。コール首相はその言葉通り、目の前に展開された機会を逃さず、周辺国の懸念にもかかわらず統一政策を強行した。一部では統一の準備のための憲政委員会のようなものを設置し、数年間の過渡期を置こうという意見もあったが、コール首相は聞かなかった。サッチャー英首相やミッテラン仏大統領は「統一ドイツが欧州を離脱し、東欧圏に合流するだろう」と不安を感じたが、そのような懸念も解消した。コール首相の業績を高く評価する。

金永熙=コール首相でなくとも、西側政策を遂行して東方政策の道を開いたコンラート・アデナウアー(1949-63在任)、統一政策に直結した東方政策を成功させたウイリー・ブラントのような卓越した指導者がいたからこそ、統一が可能だったようだ。統一のような歴史的な課題は平凡な政治家には手に負えないものか。

ゾンマー=歴史学徒として私は歴史の車輪を動かした個人の力を信じる。しかしどんな政治家が非凡か平凡かは、歴史的な瞬間が迫るまで判断するのは難しい。コール首相もドイツ統一の機会が近づく前の在任初期には平凡で、感動を与えることができない政治家だった。しかし彼は統一の機会を確実につかみ、その後は誰も彼の力を疑わなかった。

金永熙=ビスマルクの忠告のようにか。

ゾンマー=そうだ。


<インタビュー>テオ・ゾンマー氏「統一の機会が訪れたら逃さずつかめ」(1)

<インタビュー>テオ・ゾンマー氏「統一の機会が訪れたら逃さずつかめ」(3)

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