「腐敗のせいで戦争に負けた」…日本に奪われた大砲展示した中国(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.07.25 10:30
明け方に鶏が泣けば韓半島まで鳴き声が聞こえるという山東半島の威海市の近海に、劉公島という名の島がある。120年前、中国人に洗い落とせぬ恥辱を残した歴史の現場だ。島国・日本に力なくひざまずいて東アジアの覇権を譲り渡した日清戦争の最後の戦場が、まさにこの劉公島だった。
六十干支(60年)が2回り過ぎた今、劉公島に建てた甲午戦争博物館では、普段よりも多くの観客が訪れて当時の痛みを反すうしていた。甲午戦争は日清戦争の中国式の名称だ。「年間100万人以上訪れるが、今年は例年よりも観覧客がはるかに多い」と王計華・副館長は説明した。
清の主力海軍北洋艦隊司令部の場に展示された口径210ミリの大砲(有効射程距離5キロ)2台が目を引いた。北洋艦隊はドイツの軍需企業が作った、当時としては最新鋭の武器であるこの大砲を巡洋艦である済遠艦に装備した。この大砲をまともに撃つこともないまま黄海海戦で敗退した済遠艦は、日本軍によって日清戦争の戦利品にされ、10年後には日本海軍の一員として日露戦争に参戦し、旅順近海で沈没した。中国政府は莫大な予算を投じた末に約80年間沈んでいたこの大砲を1988年に何とか引き揚げて本来の場所ある劉公島博物館に移した。王副館長は「私たちの博物館で最も意味のある遺物」としながら「この数奇な運命の大砲の中に、中国の屈曲した歴史がそのまま投影されている」と話した。