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【コラム】日清戦争の記憶がよみがえる2014年甲午の韓半島(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.01.03 16:35
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記憶は競争する。歴史記憶の風景は違った。勝敗が鮮明だからだ。中国の劉公島と日本の下関-。日清戦争の歴史現場だ。回顧の記念館がある。双方の展示コンセプトの違いは明確だ。

戦争開始は120年前(1894)甲午年。中国は甲午戦争と呼ぶ。劉公島は山東省威海の前の小さな島だ。清の北洋艦隊基地だった。そこに中国甲午戦争博物館がある。当時、両国の海軍力は似ていた。指揮官の力量と戦術、リーダーシップの戦争意志、愛国心が勝負を分けた。日本が圧倒した分野だ。劉公島博物館は惨敗のドラマで開かれる。その中に日本軍の蛮行、良民の抵抗が含まれている。

 
北洋水師(司令官)は丁汝昌だ。彼は日本連合艦隊にひどくやられた。彼は自殺する。拙戦の敗将だ。しかし巨大な銅像がある。降伏しなかった壮烈な犠牲は崇拝で再起する。そのコンセプトは日本侵略に対する中国の子孫の怒りを高める。怒りは決意につながる。

結語の展示版はこうだ。「甲午戦争の屈辱的な歴史は後れを取ればやられる(落後就要挨打)だ」-。展示室に毛沢東、トウ小平、江沢民、胡錦濤の言葉が額縁に入って掛けられている。中国歴代指導者の誓いは終始一貫している。「強力な海軍力」だ。

国家主席の習近平の「中国夢」はその悲願と希望を込めている。中国軍事力の勢いは止まらない。釣魚島(日本名・尖閣諸島)は最初の対象だ。中国は東中国海(東シナ海)防空識別圏(CADIZ)を宣言した。

戦争は下関条約で締めくくる。終戦条約の現場は下関の春帆楼だ。春帆楼は残っている。その区域に日清講和記念館がある。小さくて質素だ。伊藤博文と陸奥宗光の胸像も小さい。2人は日本側(総理、外務大臣)交渉代表だ。

質素であるのは勝者の余裕のためだろう。その記念館に李鴻章の字がある。彼は清国代表だった。「海岳煙霞」-。大きな海の霧と夕焼けの下関を比喩している。字は風景の中の興趣を表す。しかし逆説の展示物だ。清の支配者の屈服と諦念として映る。


【コラム】日清戦争の記憶がよみがえる2014年甲午の韓半島(2)

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