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<創刊企画>日本IT界の神話、孫正義「志高く」(24)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2011.11.01 17:52
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私はメディア産業にも進出することにした。 今もそうだが、当時の世界最大メディア財閥は豪州のルパート・マードック・ニューズ・コーポレーション会長だった。 96年4月、米ハリウッドにあるマードック会長の事務所を訪れた。 いろいろと話した後、「日本に来れば一緒に食事でもしよう」という言葉を残して別れた。 2カ月後、本当にマードックから「東京でパーティーを開こうと思うが、あいさつの言葉を述べてほしい」という要請があった。

パーティー前日の晩、東京・銀座の高級料亭で彼と向かい合って座った。 マードックは日本でデジタル衛星放送事業を始める予定だと話した。 私はすぐにチャンスをつかんだ。

 
「私と一緒にしましょう。 日本には強力なライバルが多い。 ライバルと戦うには少なくとも2000億円は必要です。 私が1000億円を出しましょう」。

マードックは私の提案をすぐに受け入れた。 その10日後、合併会社を設立した。 マードックと私は417億円を投入し、旺文社メディアが保有するテレビ朝日の株式21%も取得した。

しかしこの取引は「ソフトバンクが外国資本と手を組んで日本メディアを掌握しようとしている」という非難にぶつかった。 翌年、私は保有株を未練なく再売却した。 その代わり、マードックと一緒に設立した衛星放送JスカイBの運営にまい進した。 97年にはもう一つの日本国内の衛星放送、パーフェクトTVとの合併を実現させた。 これで私は流通・インターネット・メディア・展示会にわたる主要デジタルインフラを手にした。 MS・シスコとの合弁、米メモリーボード市場の60%を掌握するキングストンテクノロジー買収などで、ネットワークとテクノロジーインフラ部門でも世界的な企業と肩を並べるようになった。

このように相次ぐ投資とM&Aの結果はすぐに‘お金’として表れた。 96年5月30日、ヤフー本社が米ナスダックに上場した。 97年にはヤフージャパンが日本ジャスダックに上場した。 両社の株価はまさに高空行進を続けた。 99年末、ソフトバンクが保有するヤフー株の総額は1兆4586億円になった。 初期投資額の360倍だった。 同じ時期、ヤフージャパン株も1株当たり1050万円まで上がった。 私はこうして準備した資金でイー・トレード、ジオシティーズのようなシリコンバレー有望ベンチャーに相次いで投資した。 財産が増えていき、99年秋から00年2月までは「孫正義の財産がまた10億ドル増えた」という記事が世界メディアにたびたび報道された。 わずか3日間だが、ビル・ゲイツを超えてIT業界最高の富豪にもなった。 こうした中、お金の感覚を失った。 デパートに行っても「このビルを丸ごと買える」と思うと、ショッピングする楽しさがなくなった。 97年にはそれまで暮らしてきた賃貸住宅を出て、40億円を投じて新築した3階建ての家に引っ越しした。 世界主要メディアのスポットライトの中で富と名声の絶頂を享受した。

しかし栄光は長く続かなかった。 00年3月、いわゆる‘ドットコムバブル’崩壊が始まった。 ソフトバンクの株価は100分の1になり、私は詐欺師という汚名を着せられた。 世の中との、私自身との本当の勝負が始まったのだ。


【特集】<創刊企画>日本IT界の神話、孫正義「志高く」

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