【噴水台】通貨スワップの追憶…韓日スワップ復元なるか
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.05.08 06:53
韓国が外国と結んだ初めての通貨スワップは2001年の日本との20億ドル(現レートで約2180億円)の契約だった。その後、契約規模が2011年700億ドルまで徐々に増え、2012年李明博(イ・ミョンバク)当時大統領の独島(ドクト)訪問で両国間に葛藤が生じ、既存の契約が一つずつ満期を迎えながらも延長されず、結局2015年2月に終止符を打つことになった。
通貨スワップは必要な時に相手国の通貨やドルを借りて使うことができる「外貨マイナス通帳」だ。最もドラマチックだった通貨スワップは、世界金融危機の2008年10月末に締結した韓米通貨スワップだった。韓国銀行が政策金利を0.75%ポイント下げても急落に歯止めがかからなかった金融市場が、この通貨スワップで一気に正常化した。一日でウォン価値が177ウォンも上がり、株価も12%上昇した。
基軸通貨国の米国との通貨スワップ締結には姜万洙(カン・マンス)当時企画財政部長官が大きな役割を果たした。姜長官は、先進国で始まった国際金融市場不安を食い止めるために新興国が外貨準備高を使うことになり、この過程で米国の国債を持ち出して売れば、米国など先進国も被害を受けることになるという「リバース・スピルオーバー(reverse spillover)」論理を積極的に説明して米国から共感を引き出した。当時、米国がすでにこの1カ月前の同年9月に主要通貨国ではないオーストラリア・デンマーク・ノルウェー・スウェーデンと通貨スワップを結んでいたことから雰囲気も醸成されていた。結局、韓国をはじめとするブラジル・シンガポール・メキシコが「ドルの傘」の下に入った。