新羅騎兵の札甲、1600年ぶりに日の目見る(1)

新羅騎兵の札甲、1600年ぶりに日の目見る(1)

2009年06月03日14時15分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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  新羅総帥の白骨は塵土になって消え、敵の矢と矛を受け止めた彼のよろいが1600年ぶりに日の光を見た。新羅重装騎兵(重武装した騎馬武士)の実体が初めて現われた。新羅古墳最大密集地である慶北慶州市皇吾洞一帯「チョクセム地区」の古墳。5世紀ごろ、将帥が着ていたものと推定される札甲(鱗型よろい)はもちろん馬甲(馬に装着したよろい)と馬具類が出土した。三国時代の将帥・馬のよろいが完全に出土したのは今回が初めてだ。国立慶州文化財研究所は2日「チョクセム地区C10号墓」発掘現場を公開した。

  ◆三国時代、馬に乗った将帥の原型現れる=イ・ゴンム文化財庁長は現場ブリーフィングで「新羅が高句麗で受け入れた中将騎兵を通じて将来、三国統一を成す強い国防力を育てていったことを見せてくれる証拠」とし「新羅中将騎兵の実体を確認した初の発掘成果」と説明した。

  国立伽揶文化財研究所が1992年、咸安馬甲塚から馬甲を掘り出したことはあったが、将帥の札甲はなかった。今回の出土品はそれよりずっと完全な姿を見せているというのがイ庁長の説明だ。よろいの場合も板甲(大きな鉄板で作ったよろい)はたびたび出土していたが、小さな鉄の破片を集めて作った札甲は一部の部族区でしか発見されていない。札甲は板甲に比べて体が動きやすい。騎馬隊の機動力を引き上げるのに効果的だ。よく高句麗の騎馬隊が強いと有名だが、実物として伝わったものはない。高句麗「双楹塚」などに札甲で重武装した騎馬部隊の壁画が残っており、その原型が何か推測できる程度だ。

  イ・ゴンム庁長は「高句麗は死亡者の副葬品を墓の外に出して持って行かせる風習があったので、遺物が出ない場合もある」とし「北魏や士、中国の魏も札甲を使った跡が画像塼(絵が描かれたレンガ)などに残っているだけで実物は伝わっていない」と説明した。札甲と馬甲、矛と刀など絵だけで見ている武士の姿が新羅古墳から初めて姿を見せたのだ。

新羅騎兵の札甲、1600年ぶりに日の目見る(2)
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