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10年ぶりに‘XJAPAN’再結成…韓国公演後のTOSHIにインタビュー

2008.02.18 12:36
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「痛みを抱えた過去の歴史を払い落として命を歌いたい」--。

 
1980~90年代、日本の伝説的なロックグループ・エックスジャパン(XJAPAN)のボーカルだったTOSHI(本名出山利三、41、写真)。ソウルで会った彼はシンプルな黒のスーツと靴というファッションだった。全盛期の派手な衣装や化粧の面影はまったくなかった。彼は14日、大学路(テハンノ)スターシティ小劇場でバレンタインデーコンサートを行った。

TOSHIは公演中「97年に解散したエックスジャパンを再結成し、来月28日から30日まで東京ドームで『XJAPAN、攻撃再開!』と題して記念公演をする」と述べた。また「今はもうおじさんになってしまったので3日連続のコンサートに耐えられるだけの体力があるかどうか心配だ」という冗談までとばした。しかし彼の訴えかけるようなあの歌唱力は全く色あせていなかった。

--再結成をどうして決意したのか。

「メンバーのYOSHIKI(本名、林佳樹)の米国ロサンゼルススタジオをたまたま訪ね、YOSHIKIが聞かせてくれた『ウィズアウト ユー』(Without You、君なしに)というバラードにとても感動し涙を流した。彼がこの世から旅立ったメンバーhideを弔うために作った曲だった。歌詞がとても良かった。「どんなことがあっても必ず生き残ろう」という内容だった。その場でYOSHIKIがピアノを弾いて僕が歌を歌った。そのとき、再結成を決心した。4歳のときに知り合ったYOSHIKIとは幼稚園から高校まで同じ学校に通った友人なので気持ちが通じている」

--エックスジャパンは再結成後どんな音楽に挑戦するのか。

「ロックになるのか、ヒーリング音楽になるのかまだ未定だ。3月のコンサートを準備しながら互いに話し合わなくてはいけない。とりあえず『I.V.』というロックの新曲でシングルアルバムを先月発表した」

--97年にエックスジャパンを辞めた理由は。

『ロックに疲れを感じたものもあるけれど、何より芸能界が嫌いになった。(82年の結成後)ロックスターという光り輝く地位まで駆け上がったけれど、それだけ傷つくことも多く、むなしくもあった。(ボーカルの)僕が辞めたのがグループの解散につながった」

--グループを辞めた後、チャリティーコンサートに多く取り組んできたと聞いているが。

「MASAYAというプロデューサーが誘ってくれたおかげで老人ホームや児童養護施設を訪問し、公演を行くことができた。2001年の1月から2007年12月までほとんど毎日、1日に何カ所も回ってコンサートを行った。数千回は行ったと思う。現場のマネジャーと2人きりで荷物を持ち、各地を回った。私の人生で非常に大切で重要な時間だった。初めは僕を知らない人々の前でコンサートを開くのが怖かった。でも、初めての公演でおじいさん、おばあさんが涙を流して僕の手を取り『ありがとうございます』という姿を目にして考えが変わった。歌で人々の傷を癒すことで自分の傷も癒されていった」

--今は音楽で心の傷を癒す「ヒーリング音楽家」に変身したが。

「グループ解散直後、ギタリストのhideが突然亡くなって、多くのファンが彼を追って死を選ぶという悲しい事件まで起きた。それで命についてをまた考えるようになった。それが今の僕の音楽人生に非常に大きなキーワードになった。心の傷を癒すことに全力を傾けているのもそのためだ」

--心に傷を負った人々を扱った歌が多い。

「小さいころから家族の間で問題があった。特にグループ活動をして人気が高まるとお金の問題が生じて兄とも仲たがいするなど良くないことをたくさん体験した。痛みを抱えた過去の歴史についてもう話したくない。これからはポジティブな話だけをしたい」

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